<?xml version="1.0" encoding="utf-8"?>
<feed version="0.3" xmlns="http://purl.org/atom/ns#" xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/" xml:lang="ja">
<title>三田典玄の電網解説「だからそれは、さ」</title>
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://blog.mita.minato.tokyo.jp/" />
<modified>2007-09-14T09:14:07Z</modified>
<tagline>共同通信・CH-K・電網解説「だからそれは、さ」に連動した個人のblogです。</tagline>
<id>tag:blog.mita.minato.tokyo.jp,2009://2</id>
<generator url="http://www.movabletype.org/" version="3.151-ja">Movable Type</generator>
<copyright>Copyright (c) 2007, nori-m</copyright>
<entry>
<title>BLOGリニューアルしました</title>
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://blog.mita.minato.tokyo.jp/archives/2007/09/blog_11.html" />
<modified>2007-09-14T09:14:07Z</modified>
<issued>2007-09-14T09:00:14Z</issued>
<id>tag:blog.mita.minato.tokyo.jp,2007://2.571</id>
<created>2007-09-14T09:00:14Z</created>
<summary type="text/plain"> 2007年9月14日で、このBLOGの更新を止め、新しいところに移動します。 このサイトはしばらくそのまま置いておこうと思います。既に400を超える私の「日記」が入っています。これは自分の生きてきた記録でもあるわけで。。。 今後とも新しいところでよろしくお願い申し上げます。 ...</summary>
<author>
<name>nori-m</name>
<url>http://www.mita.minato.tokyo.jp/blog/</url>
<email>jmb@mita.minato.tokyo.jp</email>
</author>
<dc:subject>共同通信CH-K・電網解説のおはなし</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://blog.mita.minato.tokyo.jp/">
<![CDATA[<p><a href="http://blog.mita.minato.tokyo.jp/archives/tonbi.html" onclick="window.open('http://blog.mita.minato.tokyo.jp/archives/tonbi.html','popup','width=800,height=207,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://blog.mita.minato.tokyo.jp/archives/tonbi-thumb.png" width="500" height="129" border="0" /></a></p>

<p>2007年9月14日で、このBLOGの更新を止め、<a href="http://report.mita.minato.tokyo.jp/" target="_blank">新しいところに移動</a>します。

<p>このサイトはしばらくそのまま置いておこうと思います。既に400を超える私の「日記」が入っています。これは自分の生きてきた記録でもあるわけで。。。

<p>今後とも新しいところでよろしくお願い申し上げます。
]]>

</content>
</entry>
<entry>
<title>各種学校と大学</title>
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://blog.mita.minato.tokyo.jp/archives/2007/09/post_488.html" />
<modified>2007-09-13T09:07:53Z</modified>
<issued>2007-09-11T12:50:51Z</issued>
<id>tag:blog.mita.minato.tokyo.jp,2007://2.570</id>
<created>2007-09-11T12:50:51Z</created>
<summary type="text/plain"> 各種学校は、いわゆる高校のその先にある進学先として、日本では、大学よりも一段下に見られている。...</summary>
<author>
<name>nori-m</name>
<url>http://www.mita.minato.tokyo.jp/blog/</url>
<email>jmb@mita.minato.tokyo.jp</email>
</author>
<dc:subject>共同通信CH-K・電網解説のおはなし</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://blog.mita.minato.tokyo.jp/">
<![CDATA[<p><a href="http://blog.mita.minato.tokyo.jp/archives/PICT0333.html" onclick="window.open('http://blog.mita.minato.tokyo.jp/archives/PICT0333.html','popup','width=600,height=800,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://blog.mita.minato.tokyo.jp/archives/PICT0333-thumb.jpg" width="500" height="666" border="0" /></a></p>

<p>各種学校は、いわゆる高校のその先にある進学先として、日本では、大学よりも一段下に見られている。]]>
<![CDATA[<p>でも、いま大学は教授会があり、理事会があり、それぞれがそれぞれに権限をもっていたりして、それでいてだれも責任を取らなかったりして、新しいことはなにもできない、という状態にあるところがとても多い。

<p>対して、各種学校は、たいていがその創立者の一族がほとんどの権限を握る、同族企業のようなところが多い。

<p>しかし、少子化というこの現実を目の前にして、各種学校はその経営者一族が必死の防戦を試みているところが多い。こういう「戦時」には、小回りのきく学校経営ができる各種学校のほうが、ひょっとしてかなり有利になる可能性がとても高い。

<p>大学、という「権威」が、そこにあぐらをかいていられなくなったのだ。

<p>今でも、IT系の学生を見ていると、各種学校ではないが、工業高等専門学校生のほうが、明らかに大学や大学院の学生よりもはるかに優秀な人間を多く見るようになった。

<p>各種学校の中には、ケンブリッジ大学の大学院などに学生を送り込むほどのところも出てきた。その学校では、観光関係の学科で、毎年TOEICの試験を行うとのことだが、入学時には300点ほどだった生徒が、最高で900点まで伸びたこともあった、という。そこまでではなくとも、ほとんどの学生がこれらの英語試験の点数を数百点単位で上げている。

<p>学生を集める、ということ。学生に高い能力をつける、ということ。この「即戦力」となる「学生」を作ることばかりが「学問」ではないけれども、その「学問」の世界でも、各種学校の伸びは、世界でめざましいものがあるのだ。

<p>しばらくすると、「ぼくは成績が悪くて、各種学校に行けなくてね。。。仕方なく大学に入ったんだ」なんて学生も出てくるかもしれない。

<p>生きる道を探す必死の努力をする各種学校。まだまだ大丈夫だ、と思っている大学。ウサギとカメのたとえもある。これから、世の中の価値がどうひっくり返るか？面白い世の中になったものだ。

<p>そういえば、よくIT業界で聞く「マサチューセッツ工科大学」「MIT(Massachusetts Institute of Technology)」は、そのまま日本語にすると、「大学」という単語はない。私立のInstitute(研究所)だ。CollegeでもUniversityでもない。つまり研究所が学生をとっている、ということになる。日本ではこういうのは各種学校扱いになるところかもしれない。

<p>そして、大学はむしろ「研究所」として、世の中の基礎となる「即戦力」ではない、学問をするところとして生きられるようにするべきではないだろうか？そういう仕事だって、もちろん世の中には必要なのだ。

<p>即戦力を養成するための教育機関としての「大学」は、既に大学の本来の意味からすれば「外道」なのかも知れない。故遠山啓先生によれば「学校には自動車学校型」と「劇場型」の２種類がある、ということだ。つまり、「自動車学校型」は即戦力を養成するための教育機関。そして「劇場型」は、すぐには役に立たないかも知れないことを研究し、教育するところだ、というのだ。

<p>そして、この「自動車学校型」は、各種学校にすべて持って行き、「劇場型」は、大学がその役割を担う、ということが美しいのではないだろうか？
]]>
</content>
</entry>
<entry>
<title>粘着くんはどこにでもいる</title>
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://blog.mita.minato.tokyo.jp/archives/2007/09/post_487.html" />
<modified>2007-09-09T23:57:51Z</modified>
<issued>2007-09-09T23:20:00Z</issued>
<id>tag:blog.mita.minato.tokyo.jp,2007://2.569</id>
<created>2007-09-09T23:20:00Z</created>
<summary type="text/plain"> オーマイニュースの「市民記者編集委員」になった。その筆頭で、最初の「オーマイニュース記事評」を書いた。が、そこのコメント欄に、「天元」という人が、匿名で攻撃に来ている。ずいぶん前の記事(それも、このコメントがついている記事とはなんの関係もない)を引き合いに出して、なんとしてでも、コイツをつぶしてやろう、という意気が満々である(笑)。 いや、途中まではこちらもまともに対応していたのだが、どうも様子がちがう、と、途中で気がついた。なにを言っても、あれこれ理屈をつけては「オマエは間違いを認めろ」しか言わないのだ。話している相手の「考え方の違い」「見方の違い」というのをまるで認めようとしない。自分の主張だけを繰り返し、「オマエはあやまれ」としか言わない。なんだか気持ち悪くなってきた。 ついでに、記事とは違う内容でのコメントなので、あまりこれが長くなると、見ている人たちにも迷惑だから、ということで...</summary>
<author>
<name>nori-m</name>
<url>http://www.mita.minato.tokyo.jp/blog/</url>
<email>jmb@mita.minato.tokyo.jp</email>
</author>
<dc:subject>共同通信CH-K・電網解説のおはなし</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://blog.mita.minato.tokyo.jp/">
<![CDATA[<p><a href="http://blog.mita.minato.tokyo.jp/archives/IMG_3967.html" onclick="window.open('http://blog.mita.minato.tokyo.jp/archives/IMG_3967.html','popup','width=900,height=600,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://blog.mita.minato.tokyo.jp/archives/IMG_3967-thumb.jpg" width="500" height="333" border="0" /></a></p>

<p>オーマイニュースの「市民記者編集委員」になった。その筆頭で、<a href="http://www.ohmynews.co.jp/news/20070908/14876" target="_blank">最初の「オーマイニュース記事評」を書いた</a>。が、そこのコメント欄に、「天元」という人が、匿名で攻撃に来ている。ずいぶん前の記事(それも、このコメントがついている記事とはなんの関係もない)を引き合いに出して、なんとしてでも、コイツをつぶしてやろう、という意気が満々である(笑)。

<p><a href="http://blog.mita.minato.tokyo.jp/archives/IMG_4105.html" onclick="window.open('http://blog.mita.minato.tokyo.jp/archives/IMG_4105.html','popup','width=900,height=600,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://blog.mita.minato.tokyo.jp/archives/IMG_4105-thumb.jpg" width="500" height="333" border="0" /></a>

<p>いや、途中まではこちらもまともに対応していたのだが、どうも様子がちがう、と、途中で気がついた。なにを言っても、あれこれ理屈をつけては「オマエは間違いを認めろ」しか言わないのだ。話している相手の「考え方の違い」「見方の違い」というのをまるで認めようとしない。自分の主張だけを繰り返し、「オマエはあやまれ」としか言わない。なんだか気持ち悪くなってきた。

<p><a href="http://blog.mita.minato.tokyo.jp/archives/IMG_4123.html" onclick="window.open('http://blog.mita.minato.tokyo.jp/archives/IMG_4123.html','popup','width=900,height=600,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://blog.mita.minato.tokyo.jp/archives/IMG_4123-thumb.jpg" width="500" height="333" border="0" /></a>

<p>ついでに、記事とは違う内容でのコメントなので、あまりこれが長くなると、見ている人たちにも迷惑だから、ということで、こちらのBLOGに誘導して差し上げたのだが、これには一向に乗ってくる気配がない。これまでもいろいろな人が同じような「攻撃」をしてきたけど、その中のちゃんとした人たちは、きちんとこの趣旨をわかって、こちらのBLOGに来ていた。でも、今回はその気配がないから、おそらく「攻撃のための攻撃」でしかないんだろうと、勝手に想像している。ここはアフィリエイトなんか全然やってないBLOGだし、完全に個人サーバだからランキングも関係なし。だから、来てもせいぜいがアクセスログが残るくらいだから、来てもどうってことはないのに。

<p><a href="http://blog.mita.minato.tokyo.jp/archives/IMG_4135.html" onclick="window.open('http://blog.mita.minato.tokyo.jp/archives/IMG_4135.html','popup','width=600,height=900,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://blog.mita.minato.tokyo.jp/archives/IMG_4135-thumb.jpg" width="500" height="750" border="0" /></a>

<p>だいたい、名前が「天元」。つまり私の名前の「典玄」をパロディにしたものらしい。匿名の臆病者。不真面目な態度、そして、私だけを標的にしている、というこの粘着はこの名前だけで明らかだ。「いや、これは囲碁で使われている名前で。。」などと、言い訳にいそしんでいるようだが、まぁ、普通こんなのは「後付け」でGoogleあたりで探してきたんだろう、としか思えない。普通はね。

<p><a href="http://blog.mita.minato.tokyo.jp/archives/IMG_4170.html" onclick="window.open('http://blog.mita.minato.tokyo.jp/archives/IMG_4170.html','popup','width=900,height=600,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://blog.mita.minato.tokyo.jp/archives/IMG_4170-thumb.jpg" width="500" height="333" border="0" /></a>

<p>なーんて言っても、向こうは匿名。こちらは実名。まともに相手をするほどのことは、普通はない。まぁ、暇なうちは相手にしてあげるから、こちらで続きをどうぞ。
]]>
<![CDATA[<p><a href="http://blog.mita.minato.tokyo.jp/archives/IMG_4091.html" onclick="window.open('http://blog.mita.minato.tokyo.jp/archives/IMG_4091.html','popup','width=900,height=600,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://blog.mita.minato.tokyo.jp/archives/IMG_4091-thumb.jpg" width="500" height="333" border="0" /></a>

<p>こういうことは、毎度のことなので、もう飽きてしまった、というところもあるのだが、まぁ、書いておいてあげよう。こういう「記事」なんかでの論争を楽しむ、暇な人たちも多いみたいだしね。

<p><a href="http://blog.mita.minato.tokyo.jp/archives/IMG_4097.html" onclick="window.open('http://blog.mita.minato.tokyo.jp/archives/IMG_4097.html','popup','width=900,height=600,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://blog.mita.minato.tokyo.jp/archives/IMG_4097-thumb.jpg" width="500" height="333" border="0" /></a>

<p>---

<p><b>1947年の歌である「星の流れに」は、「谷まゆみ」は、「オリジナルの歌手ではない」それを認めろ、そうでないと、オーマイニュースの市民記者はみんな同じだと思っちゃうぞ！</b>みたいな、幼稚な攻撃が執拗に続いているが、はぁ、この人はネットの情報だけで世の中のすべてができてると思っている、幸せな引きこもりなんだなぁ、というしかない。

<p>ネットの情報のけっこう最初のほうに、「星の流れに」を最初に歌ったわけではない歌手である「谷まゆみ」が出てくる根拠は、ではいったいなんだろうか？それも、記事中ではカッコの中に「歌：谷まゆみ」と書いてあるだけ。この人が最初の歌手であるかどうか？ということは書いていない。多くの歌手が歌ったこの歌の、歌手の一人を書いたわけだから、「間違い」ではない。

<p>答えはわかっているのだが、ここのところは天元くんの勉強のための宿題にしておこう。

<p>そして、この歌手の名前が出てくるところは、当該記事のたった１箇所だけ。誰が歌おうと、あまり関係ないが、とりあえずこの中で知られた歌手であろうと思われる人の名前を出した。その部分は本文のところではなく、また、誰が歌っていても記事の趣旨ともまるで関係が無い場所だ。

<p><b>（歌：谷 真酉美、作詩：清水みのる、作曲：利根一郎）</b>

<p>歌の引用の最後に、こう書いてある。この部分だけだ。

<p>このクレジットは著作権法で「引用」の要件を満たすために書かれた部分であって、この歌を歌った歌手はそのいずれもの人が「二次著作権」を持っているから、ここの歌手名は誰でもよかった、という部分である。

<p>全体の文脈を全く無視して、文脈とはまるで関係のない小さな部分だけを取り上げ、「重箱の隅をつつく」ことにより、筆者の「不正確性」を問う。これを「針小棒大に」取り上げる。そして、筆者への攻撃の材料にし、最後はその人格まで否定する、というやりかたは、1980年代にも、イザヤ・ベンダサンはじめ、多くの右翼系・御用知識人が駆使した手であったことは記憶に新しい。

<p><a href="http://blog.mita.minato.tokyo.jp/archives/IMG_4154.html" onclick="window.open('http://blog.mita.minato.tokyo.jp/archives/IMG_4154.html','popup','width=600,height=900,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://blog.mita.minato.tokyo.jp/archives/IMG_4154-thumb.jpg" width="500" height="750" border="0" /></a>

<p>こういう攻撃の方法は、昔から変わるところがない。その方法をお教えする。

<p>ターゲットを見定めると、まずその「穴」を探す。不正確な記述や、間違っているところが少しでもあると、まずそこを突破口に、攻撃を始める。多くの書いたものを世の中に出している人の文章は、その数が多いがために、間違いなどの１つや２つは必ずあるものだ。攻撃者はまずそこを探す。

<p>私もオーマイニュースでの記事が200をこえる。自分の著述したものや、監修したものも40冊ほどある。そうなると、その中には不正確な記述をしてしまったもの、勘違いをしたもの、など、さまざまなものが、やはりある。穴も当然多くあることだろう。

<p>その「穴」のうち、その場でわかったものは、出稿後に変更することもある。コメント欄でこのように口汚いことばで粘着をしてくる人間や、「記事の修正」が目的ではなく、個人攻撃を目的としている(ように見える)輩には、まともに答える義務はないが、ときどき、本当にちゃんとした間違いを指摘する人もいる。私はこういう人には、ちゃんとした答えを返すことにしているが、そういうことを繰り返していても、まだ「穴」は残る。悪意を持ってあら捜しをすれば、どんな聖人君子にも完璧というものはない。ましてやスピードを要求されるネットの上での「記事」である。私の記事ではなくとも、ツッコミどころは満載、という記事は多いのが普通だ。

<p><a href="http://blog.mita.minato.tokyo.jp/archives/IMG_4172.html" onclick="window.open('http://blog.mita.minato.tokyo.jp/archives/IMG_4172.html','popup','width=600,height=833,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://blog.mita.minato.tokyo.jp/archives/IMG_4172-thumb.jpg" width="500" height="694" border="0" /></a>

<p>しかし、「粘着くん」は、その間違いを訂正するためではなく、あくまでその個人を攻撃するためだけに、こういう「穴」を使う。決して「間違っていることを、直してほしい」がホンネでもなければ、目的でもない。粘着して、相手をつぶすことが目的であることは「天元」という私の名前のパロディの名前で明らかだ。この「匿名の粘着くん」のクラさ、というのは、想像するだに虫唾の走るものがあるので、触るのもおこがましいが、暇であれば私もときどき相手をする。

<p>そして、「粘着くん」は、この「穴」をガンガンと攻撃する。ご丁寧なことに、今回の「穴」は、その記事の内容のことでは一切なく、少々古い記事だ。これを見ても、「天元」というウソくさい名前とともに、やはり「攻撃のためのコメント」であることは明白だ。

<p>言われてみて、ああ、そういえばそんな記事も書いたよなぁ、と思い出した。そのとき、なんだか同じようなことを言って「衆目を引いてカッコよく振舞いたい」人もいたように思うが、まぁ、今となっては過去の話だ。

<p><a href="http://blog.mita.minato.tokyo.jp/archives/IMG_4149.html" onclick="window.open('http://blog.mita.minato.tokyo.jp/archives/IMG_4149.html','popup','width=900,height=600,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://blog.mita.minato.tokyo.jp/archives/IMG_4149-thumb.jpg" width="500" height="333" border="0" /></a>

<p>「攻撃をするためだけの粘着くん」のやることは、だいたい決まっている。

<p>１．　相手の記事などに小さな「穴」をみつける。<br>
２．　見つけた穴を執拗に攻撃する。<br>
３．　「小さな穴」を捉えて「事大主義」的に大きなものに見せる。<br>
４．　さらにその穴を人格攻撃にまで広げ「こいつは信用ならない」とする。<br>
５．　結果として攻撃相手の「全人格を否定」する。<br>

<p>こういった、単純な手口が、今もネットであちこちで行われている。今回の「天元」さん、みたいに、ね。でも、あくまで「自分の主張は正しく、それを認めてもらうためだけに、オレはやっているのだ！」と、彼はあくまで主張する(せざるを得ない)。そりゃそうですね。それしか武器がないんだから。

<p>だが、もうこの方法は流行らないんですよ、明智君。いや「天元」くん。

<p><a href="http://blog.mita.minato.tokyo.jp/archives/IMG_4144.html" onclick="window.open('http://blog.mita.minato.tokyo.jp/archives/IMG_4144.html','popup','width=900,height=620,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://blog.mita.minato.tokyo.jp/archives/IMG_4144-thumb.jpg" width="500" height="344" border="0" /></a>

<p>今は昔とは違って、ネットの時代だ。ネットでものを書き、少々は名前が表に出てくると、必ず、一人や二人、こういった匿名で、かつ卑怯きわまりない「粘着くん」につきまとわれる。女性の場合は特にこういうことが多い、とも聞く。多くは妬みなどがその根底にあるのではないかと思うが、こればかりは私も調べたことがないので断言はできない。

<p>しかし、こういった人たちをまともに相手にしないことが、ネットでものを書き続けていく、ということにはやはり必要なのだと思うし、そういうことがだんだんとネットでモノを書く人の共通のコンセンサスになってきたと思う。彼らの手口の種明かしを何度もしてきたので、だいぶこのやりかたへの理解も広まってきた、という事情もある。今後も、もっともっとネタばらしをしていくつもりだ。

<p>今回の事件での私の一番の間違いは、こういう輩と真正面からたたかってしまったことだ、と、反省している。もし、ここをお読みの市民記者の方がいらしたら、私の踏んだウンチを踏むことなく、粛々と記事を書き続けていただきたい、ということだ。

<p>ところで、人間のウンチより、イヌのウンチのほうが臭い。なんでだろう？今回はかなりクサかったなぁ。。。いや、失礼(笑)。

<p><a href="http://blog.mita.minato.tokyo.jp/archives/IMG_4088.html" onclick="window.open('http://blog.mita.minato.tokyo.jp/archives/IMG_4088.html','popup','width=900,height=600,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://blog.mita.minato.tokyo.jp/archives/IMG_4088-thumb.jpg" width="500" height="333" border="0" /></a>

<p>しかしね、ネットにはなんで<b>「オレの言うことを認めろ」</b>みたいな人たちが多いのかな？普段からあまり人に認められるような仕事を持っていなかったり、正常な家庭生活を送っていないから、欲求不満がたまっているのかも知れないね。あくまでぼくの想像だけれども。。。。

<p>いつでも、どんな困難に会っても、心静かに、仕事もしたいし、家庭生活も送りたいものです。

<p><a href="http://blog.mita.minato.tokyo.jp/archives/IMG_4076.html" onclick="window.open('http://blog.mita.minato.tokyo.jp/archives/IMG_4076.html','popup','width=900,height=600,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://blog.mita.minato.tokyo.jp/archives/IMG_4076-thumb.jpg" width="500" height="333" border="0" /></a>

<p>※　さっき、近くにある国立科学博物館付属自然教育園に行ってきたので、そのときの写真をはさんでみました。今日はすごくいい天気だった。暑かったけど。
]]>
</content>
</entry>
<entry>
<title>「地デジ」は買うな</title>
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://blog.mita.minato.tokyo.jp/archives/2007/09/post_486.html" />
<modified>2007-09-07T01:47:58Z</modified>
<issued>2007-09-07T01:20:00Z</issued>
<id>tag:blog.mita.minato.tokyo.jp,2007://2.568</id>
<created>2007-09-07T01:20:00Z</created>
<summary type="text/plain"> テレビが終了する。...</summary>
<author>
<name>nori-m</name>
<url>http://www.mita.minato.tokyo.jp/blog/</url>
<email>jmb@mita.minato.tokyo.jp</email>
</author>
<dc:subject>共同通信CH-K・電網解説のおはなし</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://blog.mita.minato.tokyo.jp/">
<![CDATA[<p><a href="http://blog.mita.minato.tokyo.jp/archives/IMG_6477_600x400.html" onclick="window.open('http://blog.mita.minato.tokyo.jp/archives/IMG_6477_600x400.html','popup','width=600,height=400,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://blog.mita.minato.tokyo.jp/archives/IMG_6477_600x400-thumb.jpg" width="500" height="333" border="0" /></a></p>

<p>テレビが終了する。]]>
<![CDATA[<p>2011年には、公共のテレビ放送において地上波デジタルに完全に移行し、アナログテレビは見られなくなる。

<p>しかし、今のテレビはかつてよりも価値がなくなっている。

<p>●面白くない番組(面白く有意義なコンテンツの不在)<br>
●報道による世論誘導の危険<br>
●ネットによる情報産業の成長<br>
●災害時の情報はラジオなどのほうが優位に立つ<br>
●光ファイバ網の低価格化による普及で電波を使う放送の価値が下がっている</p>

<p>加えて、地上波デジタルテレビ放送を受信する機器とのその周辺の問題。

<p>●コンバータ、大画面テレビ、ハイビジョン化などによる、機器の高価格化<br>
●個人情報の管理などの不整備による個人情報漏洩の危険の増大<br>
●B-CASカードの管理会社(民間会社)の不透明な運営に対する批判の高まり</p>

<p>などなど、現在の「地デジ」にはツッコミどころが多すぎる。ネットでうるさい連中が騒いでいる、というような問題ではない、というレベルにまで、これらの不満が高まっている。

<p>やがて電波を使う放送は、災害時の通報のみのためのインフラになる可能性が高い。人々が求めている「最後のエンターティンメント」は、「個人対個人」以外にはありえないからだ。

<p>---

<p>既に「注目される人」はどこでも「批判に晒される人」でもある、そういう世の中なのだ。インタラクティブ(会話的)、説明責任、ということばが、これまで近寄り難かった人を引きずりおろし、「カリスマ」という言葉の価値を相対的に、そして、急激に下げている。

<p>グローバリスムの象徴とされたインターネットは、実はローカリズムや、自分の身近なものをより大きく大切に見せ、マスコミの持つ力を地に落とす「刺客」であった、と、今頃気がついた人も多いのではないだろうか？

<p>既に「ニュース」は、マスコミが語るものばかりではなく、ネット上にあるBLOGや掲示板と、並立されるものとしてしまった。

<p><b>「マスコミは信用ならない」</b>ということばが、どこでも重みを持って多く語られ、やがてオピニオンや思想、ライフスタイルの提案元としては、テレビそのものも省みられなくなる。これがネットの時代だ。

<p>ネットに動画。ネットにハイビジョン。ネットに音声。ネットに音楽。ネットにニュース。ネットに友達の笑顔。ネットに自分の言いたいことが発信できる場所。ネットに人の言うことを見ることができる場所。ネットでは隠されたものを表にさらけ出す。

<p>ネットを使う時間のほうが、テレビや新聞を見る時間よりも多いのは、既に都市生活者の当たり前なライフスタイルになりつつある。相対的に、テレビを見る人は減った。新聞も減った。

<p>---

<p>思えば、ネットを最初に持ってきたぼくらは、こういう「多様なものが多様なままに」表現され、そして受け入れられる世の中を目指していたのだった。今日あるネットの時代を作り出すために、ぼくは毎日コードとにらめっこをして、バグ取りをしていた。少なくとも、自分にはそういう意識と目的があった。

<p>しかし、そうは言うものの、こんなに早く、こういう世の中が来るとは考えてもいなかった。50年はかかるんじゃないか？と思っていた。しかし、この変化は20年で来た。

<p>「コンピュータ」と「コミュニケーション」、そしてインターネットの底に流れる思想や哲学を理解しない人を「コスト」でひきつけ、ぼくらはその人たちを騙して、それを広めたのかも知れない。そう、「意図せずに」、と言っておこう。
]]>
</content>
</entry>
<entry>
<title>永田町</title>
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://blog.mita.minato.tokyo.jp/archives/2007/09/post_485.html" />
<modified>2007-09-05T07:09:35Z</modified>
<issued>2007-09-05T06:07:23Z</issued>
<id>tag:blog.mita.minato.tokyo.jp,2007://2.567</id>
<created>2007-09-05T06:07:23Z</created>
<summary type="text/plain"> 永田町の蕎麦屋。黒澤明監督をフィーチャーした、その名も「黒澤」に、昼飯につれていってもらった。...</summary>
<author>
<name>nori-m</name>
<url>http://www.mita.minato.tokyo.jp/blog/</url>
<email>jmb@mita.minato.tokyo.jp</email>
</author>
<dc:subject>共同通信CH-K・電網解説のおはなし</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://blog.mita.minato.tokyo.jp/">
<![CDATA[<p><a href="http://blog.mita.minato.tokyo.jp/archives/IMG_4024.html" onclick="window.open('http://blog.mita.minato.tokyo.jp/archives/IMG_4024.html','popup','width=600,height=900,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://blog.mita.minato.tokyo.jp/archives/IMG_4024-thumb.jpg" width="500" height="750" border="0" /></a></p>

<p>永田町の蕎麦屋。黒澤明監督をフィーチャーした、その名も「黒澤」に、昼飯につれていってもらった。]]>
<![CDATA[<p>おいしいお蕎麦を食べていたら、近くの席に民主党衆議院議員・Kさんがいた。

<p>そういえば、ここ、永田町だったよね。。。。
]]>
</content>
</entry>
<entry>
<title>デジタル一眼レフの進化</title>
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://blog.mita.minato.tokyo.jp/archives/2007/09/post_484.html" />
<modified>2007-09-03T00:24:00Z</modified>
<issued>2007-09-03T00:13:13Z</issued>
<id>tag:blog.mita.minato.tokyo.jp,2007://2.566</id>
<created>2007-09-03T00:13:13Z</created>
<summary type="text/plain"> だいぶ前にも書いたけど、やがてビデオとカメラは一体になる。 ...</summary>
<author>
<name>nori-m</name>
<url>http://www.mita.minato.tokyo.jp/blog/</url>
<email>jmb@mita.minato.tokyo.jp</email>
</author>
<dc:subject>共同通信CH-K・電網解説のおはなし</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://blog.mita.minato.tokyo.jp/">
<![CDATA[<p><a href="http://blog.mita.minato.tokyo.jp/archives/IMG_3939.html" onclick="window.open('http://blog.mita.minato.tokyo.jp/archives/IMG_3939.html','popup','width=900,height=600,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://blog.mita.minato.tokyo.jp/archives/IMG_3939-thumb.jpg" width="500" height="333" border="0" /></a></p>

<p>だいぶ前にも書いたけど、やがてビデオとカメラは一体になる。
]]>
<![CDATA[<p>デジタルの時代になって、「フィルム」が必要なくなったからだ。

<p>そして、今年発売された新機種のデジタル一眼レフでも、いよいよ「ライブビュー搭載」が増えてきた。やがて始まるのは、ミラーがなくなり、EVFになり、そして、動画が当たり前になり、。。。という進化だろう。

<p>最後はデジタルカメラとデジタルビデオが一体化する。

<p>現在のデジタルビデオの主流はHDD内蔵だ。100GBなども当たり前になりつつある。これをデジカメに使えば、これからはメモリカードすらいらなくなる。

<p>デジカメはフルハイビジョン動画を扱える機種もある。ビデオと同じだ。

<p>そうなると、この「ビデオ＋カメラ」という新しい映像入力機器にはこれから以下ことを考えなければならない。

<p>●まず、その名称。<br>
●グリップ形状やボディ形状。現在のビデオ型にするのか？カメラ型にするのか？それとも、全く新しいかたちにするのか？<br>
●フラッシュメモリメディアとHDDの位置付け。<br>
●家庭でさえ大量になるデータの保存場所。

<p>さて、既にカメラメーカー各社はこのあたりのことを考えている。表に出てくるのが楽しみだ。
]]>
</content>
</entry>
<entry>
<title>右と左</title>
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://blog.mita.minato.tokyo.jp/archives/2007/09/post_483.html" />
<modified>2007-09-01T10:26:40Z</modified>
<issued>2007-09-01T10:16:58Z</issued>
<id>tag:blog.mita.minato.tokyo.jp,2007://2.565</id>
<created>2007-09-01T10:16:58Z</created>
<summary type="text/plain"> テーゼがなければ、アンチテーゼはありえない。 ...</summary>
<author>
<name>nori-m</name>
<url>http://www.mita.minato.tokyo.jp/blog/</url>
<email>jmb@mita.minato.tokyo.jp</email>
</author>

<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://blog.mita.minato.tokyo.jp/">
<![CDATA[<p><a href="http://blog.mita.minato.tokyo.jp/archives/PICT0160.html" onclick="window.open('http://blog.mita.minato.tokyo.jp/archives/PICT0160.html','popup','width=800,height=600,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://blog.mita.minato.tokyo.jp/archives/PICT0160-thumb.jpg" width="500" height="375" border="0" /></a></p>

<p>テーゼがなければ、アンチテーゼはありえない。
]]>
<![CDATA[<p>保守論壇の牙城となっていた「正論」とか「諸君」とかの月刊誌。これ、みんな部数が落ちていて、存続の危機にある、とのこと。政治論議はもうはやらないのかね？

<p>そして、いまやWiki＋Googleにとって代わられた「現代用語の基礎知識」の真似もの、「知恵蔵」「イミダス」も、紙のものはなくなるとのこと。

<p>いろいろな意味で時代の変わり目を感じる。そうは言うものの、日本には「ネット右翼」はいまだに多い。頭が切り替わらないから、「嫌韓」「嫌中」なんてのをまだやっている。

<p>台湾IT企業の雄、Acerが米国で第3位のPCメーカー、Gatewayを買収。そして、中国企業として名高くなったPCのLenovoにはかなりの台湾資本が入っている。

<p>これから、日本の企業に台湾企業が出資する、という時代になるだろう。

<p>アジア経済の要は中国になる、と言われているけれども、実際にその中国経済の大きなところを支えているのが台湾だ。

<p>台湾はアジア経済の要になる。そして、台湾がアジア経済の表に出てくる。そういう時代になったのだ。
]]>
</content>
</entry>
<entry>
<title>作詞の話をもうちょっと</title>
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://blog.mita.minato.tokyo.jp/archives/2007/09/post_482.html" />
<modified>2007-09-01T05:06:02Z</modified>
<issued>2007-09-01T05:02:59Z</issued>
<id>tag:blog.mita.minato.tokyo.jp,2007://2.564</id>
<created>2007-09-01T05:02:59Z</created>
<summary type="text/plain"> いまだに、阿久悠のこと、その作品を考えている。 ...</summary>
<author>
<name>nori-m</name>
<url>http://www.mita.minato.tokyo.jp/blog/</url>
<email>jmb@mita.minato.tokyo.jp</email>
</author>
<dc:subject>共同通信CH-K・電網解説のおはなし</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://blog.mita.minato.tokyo.jp/">
<![CDATA[<p><a href="http://blog.mita.minato.tokyo.jp/archives/PICT0141.html" onclick="window.open('http://blog.mita.minato.tokyo.jp/archives/PICT0141.html','popup','width=800,height=600,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://blog.mita.minato.tokyo.jp/archives/PICT0141-thumb.jpg" width="500" height="375" border="0" /></a></p>

<p>いまだに、阿久悠のこと、その作品を考えている。
]]>
<![CDATA[<p>うーん、阿久悠さんと親しかったまさかつさんにその作詞の真髄を聞いたけど、ええー！こんなやり方をしていたのか！と驚いたけど、納得もいった。さすがに、ここではオフレコなんだけど。。。

<p>しかし、いま、あの「テレビの時代」の楽曲を聴いていると、いかにも「作詞家」が作詞して「作曲家」がいて、そして編曲者がいて。。。という、「分業」が見える。作詞がよければよいほど、「詩」と「曲」の間にある「溝」がよく見える。詩が主張すると、曲と喧嘩する。そして、この２つがばらばらになる。

<p>さらに歌い手が主張すると、三者の喧嘩になる。

<p>そして、この三者の喧嘩が、どうしても西洋音楽的なものになれば、よく見えてしまう。ポップスとかなんかでは、ね。でもなぜだかわからないが、演歌だと、これが融合する。歌を聴くその人の心のなかで、溶け合う。

<p>前にも紹介した森進一が歌う「北の蛍」の歌詞は、西洋的な「対置」を使う。「山が鳴る　風が鳴る」みたいに。そして、クリムトの絵画を見るような「乳房を突き破り」という鮮烈な詞が続く。曲は演歌だ。そして、森の声のあまりに特徴的なことはよくご存知だろう。

<p>でも、この曲はそこで歌われている「情念」のゆえに、詩、曲、歌の三者が聞き手の中でちゃんと混ざり合う。

<p>沢田研二が歌った「勝手にしやがれ」だと、白々しく見えるほど、この三者がばらばらだ。そして、いつまでたってもばらばらなままだ。いや、発表された当時はそう思わなかったが、今になって聞くと、それを感じる。

<p>演歌のすごさ、ってのは、本当はこういうところにあるんじゃないか。日本人のこころの歴史の中に連綿と続く「なにか」が、演歌を作るあんなにはっきりしたシステムをなぜかこえて、日本人の心の中に届く曲を、歌い継がせていくのだ。
]]>
</content>
</entry>
<entry>
<title>「表に出る」ということ</title>
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://blog.mita.minato.tokyo.jp/archives/2007/08/post_481.html" />
<modified>2007-08-28T01:51:11Z</modified>
<issued>2007-08-27T21:40:39Z</issued>
<id>tag:blog.mita.minato.tokyo.jp,2007://2.563</id>
<created>2007-08-27T21:40:39Z</created>
<summary type="text/plain"> 最近はオーマイニュースによく書いている。でも、そこに書いたこと以外のことで、やはり多くの攻撃を受けることが多い。これはぼくだけじゃないだろう。 ...</summary>
<author>
<name>nori-m</name>
<url>http://www.mita.minato.tokyo.jp/blog/</url>
<email>jmb@mita.minato.tokyo.jp</email>
</author>
<dc:subject>共同通信CH-K・電網解説のおはなし</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://blog.mita.minato.tokyo.jp/">
<![CDATA[<p><a href="http://blog.mita.minato.tokyo.jp/archives/IMG_3642.html" onclick="window.open('http://blog.mita.minato.tokyo.jp/archives/IMG_3642.html','popup','width=600,height=900,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://blog.mita.minato.tokyo.jp/archives/IMG_3642-thumb.jpg" width="500" height="750" border="0" /></a></p>

<p>最近は<a href="http://www.ohmynews.co.jp/" target="_blank">オーマイニュース</a>によく書いている。でも、そこに書いたこと以外のことで、やはり多くの攻撃を受けることが多い。これはぼくだけじゃないだろう。
]]>
<![CDATA[<p>とにかく、表にちょっと名前が出て、そして妬まれることが普通になるような立場になると、いろいろと文句を言う人は増えるものだ。昨日の夜も、オーマイニュースの自分の記事に、その記事とは直接関係のない自分の著作について、いろいろ言う人がいた。

<p>それも、自分のことばではなく、ネットで探してきたコメントの書評欄の記述を持ってきている。もう２年以上前のもので、私もすでに読んだものだし、ぼくもそういうものがあることさえ忘れていた。

<p>でも、本の著者というのは、けっこう多い部数を出しているわけでなくても、いちいち反論するような暇は、普通はない。「説明責任が」と、反論を言う人はよく言うのだが、このネットの時代では、昔よりも簡単に「コメント」が書けるから、反論などが出そうなことを書くと、それこそ大変な量で「反論」がやってくる。いちいち答えていては、普段の仕事に支障が出ることも多くなった。

<p>そこで、通常は代表的な意見を引っ張り出して、それに再反論をすることが多い。でも、あまりにくだらない揶揄であれば、再反論をした後の再度のリアクションがまた面倒になる(えてして、そういうことを言う人は粘着してくる人が多い)ので、反論すらしないことが増えてしまう。

<p>実際、ネットでのやりとりが多くなると、表に名前が多く出る人は、こういうやりとりで消耗することが非常に多くなった。

<p>そのため、オーマイニュースで初めて自分の名前がたくさん検索エンジンに引っかかるようになった人は、このやりとりに疲れて「もう書きません」となった人も多い。

<p>「あいつをつぶせ」とばかりの悪意があるのか？それとも、真摯に答えを求めているのか？この境界が非常にあいまいだし、それを語る人の語り口もいろいろあって、真摯であっても礼儀を欠いていたり、逆に悪意がベースでも丁寧なことばを使っていたりして、その真意そのものがよくわからなくなることが多い。そして、そういう反論コメントが、ときにはすごい数で来るわけだから、「もういいや」となる人も多いのではないだろうか？

<p>結果として、将来大きくなりそうな筆者をつぶしていたり、まともな意見をどこかに放擲したりすることも多いばかりではなく、それでも書き続ける、という人を「丸く」してしまい、当たり障りのない意見を言う人に変えてしまったりすることがあるのではないだろうか？

<p>多くの人に「異」を唱える人を、それが正論であっても、「空気が読めない」などと言って排除するような、そういう「テロル」が、ネットのあちこちで行われている。

<p>結果として、大衆の意に沿うような、あるいは権力者の意に沿うような、あるいは当たり障りのないことしか言わない人間ばかりになる可能性はなきにしもあらずだ。

<p>少々でも有名になること。ネットのこの時代にあっては、そうなったその端緒から逆風にさらされることだ。それを意識して、オーマイニュースなどで書くことの楽しさを覚えたみなさんには、強く、大きく、そしてとんがってほしい、と思う。
]]>
</content>
</entry>
<entry>
<title>阿久悠の時代とはなにか</title>
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://blog.mita.minato.tokyo.jp/archives/2007/08/post_480.html" />
<modified>2007-08-27T05:40:43Z</modified>
<issued>2007-08-27T05:37:58Z</issued>
<id>tag:blog.mita.minato.tokyo.jp,2007://2.562</id>
<created>2007-08-27T05:37:58Z</created>
<summary type="text/plain"> 作詞家の阿久悠氏がこの8月1日、尿管癌で亡くなった。享年71歳。すぐにテレビ各局では追悼のための特番が流され、日本中がその死を惜しんだ。 ...</summary>
<author>
<name>nori-m</name>
<url>http://www.mita.minato.tokyo.jp/blog/</url>
<email>jmb@mita.minato.tokyo.jp</email>
</author>
<dc:subject>共同通信CH-K・電網解説のおはなし</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://blog.mita.minato.tokyo.jp/">
<![CDATA[<p><a href="http://blog.mita.minato.tokyo.jp/archives/IMG_33011.html" onclick="window.open('http://blog.mita.minato.tokyo.jp/archives/IMG_33011.html','popup','width=900,height=600,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://blog.mita.minato.tokyo.jp/archives/IMG_3301-thumb.jpg" width="500" height="333" border="0" /></a></p>

<p>作詞家の阿久悠氏がこの8月1日、尿管癌で亡くなった。享年71歳。すぐにテレビ各局では追悼のための特番が流され、日本中がその死を惜しんだ。
]]>
<![CDATA[<p>阿久悠という人がどういう人であったか？私は直接本人を知らないので、あまり細かくはわからない。しかし、「作詞」という仕事は、自分ひとりの作業でありながら、その「詩」の作り出した世界観とかイメージといったものが、作曲家と共有され、編曲者と共有され、演奏をするオーケストラと共有され、歌を歌う歌手はもちろんのこと、その歌手を支える衣装をデザインする人など、多くの人たちに共有され、それがテレビなどのマスコミで、さらに限りなく多くの人たちに共有される、というこの「流れ」を意識すれば、その仕事がとても大切な仕事であることは、十分に想像がつく。

<p>書く詩が、描く夢が、ドラマを描き出し世界を創る。その世界を多くの人の共感のもと、共有する。それが成功するときもあれば、失敗するときも、もちろんある。

<p>IT などの仕事では、その発案やシステムの全体像を描く仕事のことを、川の流れにたとえて「上流工程」と言い、その上流工程のする仕事の結果にしたがってプログラムを書くなどの仕事を「下流工程」と言う。「作詞」というのは、ある楽曲をつくり、世の中で広めるにあたっての「上流工程」のその最初に位置する仕事である、というように感じる。

<p>私が中学校、高校といった時代、阿久悠氏の作詞した歌は、テレビを席巻していた。毎年年末の国民的恒例行事と言われたNHKの紅白歌合戦は全盛を極め、民放にも高い視聴率を持つ多くの歌番組があったが、そこで歌われる曲の多くが阿久悠氏の作詞によるものだった。まさにその時代の国民の「感性」をがっちりとつかんで歌にしたのが、阿久悠氏ではなかったか？と思う。

<p>そういう意味では彼は本当は「作詞家」ではなくて「ジャーナリスト」であったのではないか？と私は思っている。ただ、彼の仕事としての表現の方法が「作詞」というかたちをとっていただけなのではないだろうか？

<p>8月3日に放映されたNHKの「プライム10」は阿久悠氏の追悼番組となっていた。この番組の中で「津軽海峡冬景色」を歌った歌手の石川さゆりさんがインタビューに答えていた。その一部を引用する。

<p>---<br>
歌を作るとき、先生はスタッフを全員自宅に集めて、みんなの顔を一人ずつ確認するように見て「これで顔ぶれはそろったね」って、おっしゃって、（続けて）「共犯者はこれだけだね」っておっしゃって、阿久先生らしい。。。で、「さぁ、こっから事件を起こすぞ」っておっしゃったのが、そのひとつずつが、生きたことばだったな、って私の中に残ってます。<br>
---

<p>どんな仕事にも「ジャーナリスト的感性」が必要な仕事が最近は増えてきた。特に、Web系のサービスなどを行う会社では、まさにこの感性こそが財産だと言える。であれば、いま、阿久悠のしてきた仕事や、そのやりかた、そしてその作品とその受け入れられ方をちゃんと研究することが、いっそう必要になっているのではないか。記者にはそう思えるのだが。

<p>しかし、あの時代のテレビとはなんだったのだろう？あの時代の「気分」をテレビが作っていた、というよりは、私たちの心の奥底に潜むかたちのない「夢」をわし掴みにして、「ほら、これでしょう？」と、私たちの目の前にごっそりと、そしてきれいに整理してそれを阿久悠さんをはじめとした作詞家、作曲家、そして歌手やスタッフが「歌曲」というかたちで提示した。ぼくらは「ああ、これだったのか！」とそれを受け入れた。それはきっと、テレビが私たち大衆の側をちゃんと向き、私たち大衆もまたテレビを信頼していた「よき時代」であったのではないか。

<p>阿久悠はそのテレビにあって、人々の夢をつかみ取り、「詩」として提示し、仕事として成立させた。テレビが阿久悠という作詞家を育てたのではなく、本当は彼がテレビを支えたのではないだろうか？テレビと私たちの間の信頼をつなげたのではなかったのだろうか？

<p>そして、阿久悠のような人が、これからもこの日本に生まれてくるのだろうか？
]]>
</content>
</entry>
<entry>
<title>永井荷風の愛した街</title>
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://blog.mita.minato.tokyo.jp/archives/2007/08/post_479.html" />
<modified>2007-08-29T10:02:34Z</modified>
<issued>2007-08-24T11:49:57Z</issued>
<id>tag:blog.mita.minato.tokyo.jp,2007://2.561</id>
<created>2007-08-24T11:49:57Z</created>
<summary type="text/plain"> まぁ、浅草の風景をまず見てください。 浅草、といえば永井荷風が出てくるのは、やっぱりぼくが「古い人」だからなんだろうか？...</summary>
<author>
<name>nori-m</name>
<url>http://www.mita.minato.tokyo.jp/blog/</url>
<email>jmb@mita.minato.tokyo.jp</email>
</author>
<dc:subject>共同通信CH-K・電網解説のおはなし</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://blog.mita.minato.tokyo.jp/">
<![CDATA[<p><a href="http://blog.mita.minato.tokyo.jp/archives/070824_145603_01.html" onclick="window.open('http://blog.mita.minato.tokyo.jp/archives/070824_145603_01.html','popup','width=900,height=600,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://blog.mita.minato.tokyo.jp/archives/070824_145603_01-thumb.jpg" width="500" height="333" border="0" /></a></p>

<p><a href="http://www.mita.minato.tokyo.jp/Mita/Asakusa2007Summer/" target="_blank">まぁ、浅草の風景をまず見てください。</a>

<p>浅草、といえば永井荷風が出てくるのは、やっぱりぼくが「古い人」だからなんだろうか？]]>
<![CDATA[<p>いや、そうは思うけれども、荷風のあの独特の世界は、今でも浅草のあちこちで見ることができる。

<p>どんなに新しい高いビルができても、この場所だけは変わらないように感じる。

<p>東京の繁華街といえば浅草。今でもぼくはそう感じる。浅草から新宿や渋谷に出ると、どこか暖かさが消える。歩く人がみなよそよそしく見えてしまう。

<p>そういえば、明日はサンバ・カーニバルをやるんだね。スポンサーは隅田川の対岸にあるアサヒビールだそうです。]]>
</content>
</entry>
<entry>
<title>【更新終了..ではなかった】エアコン会社における東京と大阪の時差</title>
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://blog.mita.minato.tokyo.jp/archives/2007/08/post_478.html" />
<modified>2007-08-24T07:52:44Z</modified>
<issued>2007-08-16T00:57:33Z</issued>
<id>tag:blog.mita.minato.tokyo.jp,2007://2.560</id>
<created>2007-08-16T00:57:33Z</created>
<summary type="text/plain"> エアコンが壊れる。ちっとも涼しくならない。この年の時期にこれはきつい。エアコンのメーカーはDIAKIN(ダイキン工業)だ。早速、24時間受け付けている、という電話番号に電話をした。 ...</summary>
<author>
<name>nori-m</name>
<url>http://www.mita.minato.tokyo.jp/blog/</url>
<email>jmb@mita.minato.tokyo.jp</email>
</author>
<dc:subject>共同通信CH-K・電網解説のおはなし</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://blog.mita.minato.tokyo.jp/">
<![CDATA[<p><a href="http://blog.mita.minato.tokyo.jp/archives/IMG_3509.html" onclick="window.open('http://blog.mita.minato.tokyo.jp/archives/IMG_3509.html','popup','width=600,height=900,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://blog.mita.minato.tokyo.jp/archives/IMG_3509-thumb.jpg" width="500" height="750" border="0" /></a></p>

<p>エアコンが壊れる。ちっとも涼しくならない。この年の時期にこれはきつい。エアコンのメーカーは<a href="http://www.daikin.co.jp/index.html" target="_blank">DIAKIN(ダイキン工業)</a>だ。早速、24時間受け付けている、という電話番号に電話をした。
]]>
<![CDATA[<p>【第一日め】<br>
ダイキン工業は、大阪の会社だ。早速、ホームページを見て、24時間サポートしている、という電話の窓口に電話。フリーダイヤルになっている。最初の電話はつながらず。２度目にやっとつながった。ちなみに、時間は午前６時。この時間に混んでることはないとは思うけど。いや、大阪と東京では時差があるんだろうな。きっと。などと、のんきに考えていたのが、つまずきの始まりだった。

<p>やっと出た電話では、「翌朝、何時にお伺いできるか、お知らせのお電話を工事業者のほうからいたします」とのこと。

<p>【第二日め】<br>
翌日の朝。業者から電話。「夕方になると思いますが、何時になるかわからないので、後で電話します」とのこと。とりあえず午前中は来ないようなので、仕事で外出した。

<p>午後は仕事で外出したいのに外にも出られなかった。

<p>で、午後３時くらいになっても連絡は来ず。こちらから「まだ連絡がない」と、ダイキン工業に再度電話。

<p>業者から、「20分くらいで行きます」と連絡があったものの、来ても様子を見るだけで、なにも修理せず。専門の業者であれば、機種なんかも伝えてあるわけだから、パーツぐらい持ってきてもよさそうなもんだが。前に来た松下の業者は、そういう準備はちゃんとしてきていた。

<p>そして、「明日かあさってに、部品を持ってきてからやります」とのこと。

<p>【第三日め】<br>
さらに翌日。午前10時に近くなってもなにも連絡がないので、仕方なくまたこちらからDAIKINに電話。すると「本日午後２時にお伺いする、という予定になってますけど」とのこと。

<p>「そんなこと、聞いてないよ！」と伝えると、それから５分後に、業者から電話。パーツはまだないけど、まずは洗浄に伺います、時間は午後３時です、とのこと。

<p>時間はいい加減、やることもいい加減。迅速な手はずもなにも整っていない会社なんだなぁ、きっと。

<p>----

<p>エアコンは長く使うものだし、こんな天気だから止まると文句がすごい。そういう製品だよね。だから、夏休みなんて、修理とか工事なんかで忙しい時期であるはず。こんな時期だからこそ、対応は迅速にしてほしいものだ。この製品の場合は「夏休みで休んでる人が多いから」みたいなのは、やっぱい通用しない。言葉の対応が丁寧でも、実際の動きが鈍ければダメなのは同じ。

<p>「大阪と東京の時差って、こんなにあったんだ」と、エアコンのない猛烈な暑さの中で考えたのだった。。。

<p>その日のお昼の12時。<a href="http://www.daikin.co.jp/index.html" target="_blank">ダイキン工業</a>より電話で「本日１４時にお伺いします」とのこと。電話は携帯電話に来た。携帯電話がとれなかったので、携帯の留守電に入っていた。が、直接の工事業者から後で入った電話は「１５時」。<a href="http://www.daikin.co.jp/index.html" target="_blank">ダイキン工業</a>のサポートから入った電話は「１４時」。どっちなんだ？

<p>仕方なく、予定を変更して、仕事を速く切り上げて１４時には家にいるようにするしかない。まてよ、この１時間も「東京と大阪の時差」か(笑)？たしかに飛行機では1時間くらいかかる距離だが。

<p>で、やっと15時に業者がきた。なんと３時間かけて洗浄とガス入れ替えをしてもらった。仕事は丁寧だったと思う。そして復旧。本体の部品の交換はなかった。私も暑いさなか、PCを暑いその場所に置いて、仕事をしつつ作業を見守った。その場で支払うのかと思ったら、後で請求書を出す、とのこと。

<p><b>【8月21日・追加】</b><br><br />
そして、8月21日。請求書が届いたのだが。。。。なんと、請求額がひどい。事前の下見で「３万円前後」ということで、その修理のお見積もりをいただいた。しかしながら、来た請求額が「４万５千円」だ。なんと１．５倍の見積額。ちゃんと専門家が下見をして、その上で出した答えなはずなのに、この見積もり違いはないだろう？。また、ちゃんと作業が終わったときにも、この金額は再度確認した。通常、こういうことがおきれば、当然のことながら事前に「すみません、これだけかかってしまったのですが」と、相談の一言くらいあってもよさそうなものだし、だいたいそういうことは工事業者が、修理が終わったその現場で言った金額そのものであることが普通だろう。</p>

<p>あらかじめ詳細に内容を見て見積もりを言っておきながら、それとは大幅に違う請求書をなんの相談もなしに出す。この神経が、通常ではない、と思える。これについては、すぐに<a href="http://www.daikin.co.jp/index.html" target="_blank">ダイキン工業</a>の営業所に電話をして、見積もりと違うむねを、すぐにクレームを入れた。まだ電話をして30分たっていないから、まだ成り行きはわからないが、サービス窓口の電話では、今日中に答えをくれる、と言わせておいた。さて、今日中に答えが来るかどうか？。

<p>----

<p>で、現在、電話をしてから時間がかなりたった。既に午後９時を過ぎたが、いまだに連絡は来ない。きっと「すみませんが、今日はお答えができないので、明日、再度ご連絡を差し上げたいと思いますが、お時間はいつごろがよろしいでしょうか？」みたいな電話もなく、今日は終わるのだろうな、と予想してみる。つくずく、社内の連絡から体制から、まるでできていない会社であると思わざるを得ない。

<p>９時半。なかなか電話が来ないので、こちらから電話をした。平謝りの「窓口担当者」はいるが、もちろんその場では答えは出ないことはわかる。「確実にお答えをいただく日時をお願いします」とお話したところ、明日の午前中にはもう一度連絡をくれる、という。なに、大きな組織であるからには、窓口だけではできることは限られている。個人的な態度だけではその会社の姿勢は測れないのは、どこの組織でも同じだ。明日、どんな連絡が来るか？あるいはなにも連絡が来ないのか？

<p>----

<p>【8月22日】午前中。電話が来た。<br>
再度、3万円＋外税分、ということで請求書を出しなおすとのこと。とりあえず納得した。今手元にある請求書は、破棄してよい、とのこと。

<p>【8月24日】再度の請求書が来た。<br>
内容は電話で話しをした通りの内容。お詫びのことばも添えられている。

<p>しかし、<a href="http://www.daikin.co.jp/index.html" target="_blank">ダイキン工業</a>の社内の体制って、こういった業者のアウトソーシングをするにあたって、体制がちゃんとしていないので、かなりガタガタである、ということが想像できる。部署間、業者間での連携がちゃんとできていないのではないか。偶然が重なった、というような感じではなく、もともとがかなりいい加減な体制なんだな、というのがわかる。連絡、報告。そして実際の作業との照らし合わせの作業中に不正などがある、という可能性も、この体制であればありえる。どれもこれも「偶然が重なった」とはとても言いにくいことばかりだった。

<p>しかし、これでは怒らせなくてもいいところで、客を怒らせてしまう。結果は「満足度が低い」となる。どれもこれも、かなり些細なことの積み重ねでそうなるものだ。放漫でいい加減なサービスや製造の体制はやがて大きな事故などを引き起こすことにもつながっていくことだろう。既に、同社のホームページによれば、社内では顧客情報を入れたハードディスクの紛失騒ぎまで起きているらしい。どれもこれも、あまりにひどくないか？

<p>どの人も企業も、完全ということはありえない。だから、企業の危機管理というのは、こういうときにどうするか？ということだ。当然のことながら、<b>(1)当面の対策、(2)次回から起こらないようにする対策</b>、の２つが考えられなければならない。今回は(1)の危機管理においての対応は、まずまずといったところだろう。カスタマが驚くようなことはできなかったが、当たり前の対応まではできた、というところか。

<p>しかし、問題は(2)だ。この会社がこのままの体制であれば、もうこの会社の製品は買わない。
]]>
</content>
</entry>
<entry>
<title>熱中症</title>
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://blog.mita.minato.tokyo.jp/archives/2007/08/post_477.html" />
<modified>2007-08-14T12:24:27Z</modified>
<issued>2007-08-14T12:20:25Z</issued>
<id>tag:blog.mita.minato.tokyo.jp,2007://2.559</id>
<created>2007-08-14T12:20:25Z</created>
<summary type="text/plain"> 熱い中、朝から仕事で走り回る。冷房の効いた部屋で午後のミーティングが終了して外に出たところ「クラっ」ときた。「これはまずい！」と思ったので、日陰の道端で座り込む。落ち着いてから家に帰り、なにもせずに横になる。 ...</summary>
<author>
<name>nori-m</name>
<url>http://www.mita.minato.tokyo.jp/blog/</url>
<email>jmb@mita.minato.tokyo.jp</email>
</author>
<dc:subject>共同通信CH-K・電網解説のおはなし</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://blog.mita.minato.tokyo.jp/">
<![CDATA[<p><a href="http://blog.mita.minato.tokyo.jp/archives/IMG_3593.html" onclick="window.open('http://blog.mita.minato.tokyo.jp/archives/IMG_3593.html','popup','width=600,height=900,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://blog.mita.minato.tokyo.jp/archives/IMG_3593-thumb.jpg" width="500" height="750" border="0" /></a></p>

<p>熱い中、朝から仕事で走り回る。冷房の効いた部屋で午後のミーティングが終了して外に出たところ「クラっ」ときた。「これはまずい！」と思ったので、日陰の道端で座り込む。落ち着いてから家に帰り、なにもせずに横になる。
]]>
<![CDATA[<p>疲労がたまているんだなぁ、と思った。ちょっと休むことにした。。。。とは言っても、そろそろ復活しかけている。明日の朝には完全に大丈夫だろう。このBlogを書くのもこのくらいにしておかないと。。。
]]>
</content>
</entry>
<entry>
<title>実は「戦争を知らなかった」大人たち</title>
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://blog.mita.minato.tokyo.jp/archives/2007/08/post_476.html" />
<modified>2007-08-21T14:42:15Z</modified>
<issued>2007-08-13T02:16:44Z</issued>
<id>tag:blog.mita.minato.tokyo.jp,2007://2.558</id>
<created>2007-08-13T02:16:44Z</created>
<summary type="text/plain"> とりあえず、後述のこの記事のコメント欄の続きのつもりで、こちらは書く。なにしろ、あのコメント欄への「ひとこと」のスペースではあまりに文字数が少ないため、自分の意見が言いにくいのだ。私への意見はこちらで聞くことにしようと思う。が、ここでコメントをするのをためらわれる人も数名いるようだが、それはここに示した理由により、放っておくことにする。 ---- さて、従軍慰安婦問題、というのがある。特に最近は中国、韓国などから日本の国に補償を求める、という動きが報道されることが多い。 ...</summary>
<author>
<name>nori-m</name>
<url>http://www.mita.minato.tokyo.jp/blog/</url>
<email>jmb@mita.minato.tokyo.jp</email>
</author>
<dc:subject>共同通信CH-K・電網解説のおはなし</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://blog.mita.minato.tokyo.jp/">
<![CDATA[<p><a href="http://blog.mita.minato.tokyo.jp/archives/IMG_3554.html" onclick="window.open('http://blog.mita.minato.tokyo.jp/archives/IMG_3554.html','popup','width=900,height=600,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://blog.mita.minato.tokyo.jp/archives/IMG_3554-thumb.jpg" width="500" height="333" border="0" /></a></p>

<p>とりあえず、後述の<a href="http://www.ohmynews.co.jp/news/20070812/13982" target="_blank">この記事</a>のコメント欄の続きのつもりで、こちらは書く。なにしろ、あのコメント欄への「ひとこと」のスペースではあまりに文字数が少ないため、自分の意見が言いにくいのだ。私への意見はこちらで聞くことにしようと思う。が、ここでコメントをするのをためらわれる人も数名いるようだが、それはここに示した理由により、放っておくことにする。

<p>----

<p>さて、従軍慰安婦問題、というのがある。特に最近は中国、韓国などから日本の国に補償を求める、という動きが報道されることが多い。
]]>
<![CDATA[<p>しかし、ネット上の情報を探して見るだけでも、実際に従軍慰安婦そのものの存在を否定する人たちもいれば、そうではない人もいる。特に、米国議会での日本の従軍慰安婦問題決議というものがあってから、さらにこれらの議論に拍車がかかるのは必至な情勢だ。

<p>賛否両論ともかまびすしいが、最近はネット上で行われる議論も数多い。この中には「元になる資料が間違っている」「米国の議会には失望した」「従軍慰安婦は世界的な戦争の問題であって、日本だけに矮小化すべきではない」「韓国や中国だけではなく、オランダ人はじめ、多くの従軍慰安婦がいた」「貧困と戦争が原因だ」などなど、多くの議論があるだけでなく、ことの本質が錯綜した意見の中に埋もれてしまっている感じがしないでもない。

<p>加えて、資料の間違いなどをあげつらい、文章の趣旨そのものを否定してしまうような「揚げ足取り」や、長い論戦でちょっとした相手の間違いを誘発させ、そこで相手が「ちょっと間違える」と、そこを突破口に、自分が優位に立とうとする、などの論戦のテクニックは、こういう議論では特に多い。ネットの世の中になってから、これらのレトリックを巧妙に使い、自分の意見を声高に言うような「言葉の香具師」が増えた。こういう輩と遭遇したときは、しっかりと黙ることだ。

<p>この論戦の中で、やがて本来の原因である「戦争」そのものをいかにやめるか、などの本質的な議論や、相手の国の一人一人の人の顔が見えなくなるような「国」を単位とした「ナショナリズム」が、やがて台頭してくる。現場の声、被害者の声がその大きな声の向こうに小さくなっていく。

<p>ところで、戦争は人が一人ではできない。だから国を単位として行わざるを得ず、結果としてナショナリズムを前面に出して「戦争」をするしかない。だから、<b>「ナショナリズムは戦争への一里塚」</b>と言っていい。

<p>また、戦争は富を一部に集めることでもあるので、戦争には「格差」や「貧困」がつきものだ。だから、従軍慰安婦の問題とは、戦争の問題に尽きる、と言ってもいい。<a href="http://www.ohmynews.co.jp/news/20070812/13982" target="_blank">オーマイニュースでもこれらの問題が記事になっている</a>ので、参考にしてほしい。

<p>記事は実際に従軍慰安婦をした、というおばあさんたちをたずね、そこで記者が感じたことを書いている。この記者の書いた記事は、正直なところあまり具体的に書いてあることはない。記事としては私は出来はよくないと思う。それでも、記者の方は精一杯、自分の感じたことを、感想文のように、ではあったとしても、ちゃんと書いている。

<p>この記事の中には、以下の文章がある。

<p><b>
　「慰安婦は軍による強制連行だったのか」という論点や、「性奴隷なのか、公娼なのか」という問いは、慰安婦決議案の本質的なテーマではない。<br><br>
　それは、いずれにせよ、辛い目にあった人がいることに変わりはないからだ。
</b>

<p>韓国や中国だけではなく、日本にも、日本人の従軍慰安婦は多くいた。貧しい農村から「売られた」女たちであった。そして、日本や韓国、中国だけではなく、戦争が始まれば、国は富の偏在をする必要に迫られ、「格差」が生み出され、そして、「貧困」が生み出され、従軍慰安婦の問題はじめ、多くの問題を抱えることになる。

<p>そして、その道具として使われるのは、いつの時代でも「ナショナリズム」だ。

<p>「国として。。。」という言葉が多く語られ、そして「外から仕掛けられる戦争には、国として対処するしかない」と言われる。国がなくなれば、あなたは大変なことになりますよ、と国が個人に脅しをかける。

<p>そこがナショナリズムの入り口である。

<p>ナショナリズムそのものを成立させない努力が、戦争そのものをなくすために一番必要なことだ。

<p>ところで、そういう動きとは裏腹に、現代はその目的はある程度達成できていると言えるかも知れない。グローバルな人やお金、モノの流通が、数十年前よりも活発に行われているからだ。インターネットもまた、多くの人々を直につなぐ役割をしている。もはや、経済には旧来の国家ナショナリズムは邪魔、というのが、世界の産業界の認識だ。

<p>そして、国対国、ということで言えば、日本と中国・韓国のような国どうしは、もはやいくらナショナリズムを煽ったところで、どうにもならない。経済的に強い依存関係があるからだ。戦争で使う富の蓄積は、お金という紙切れではなく、具体的な産業としてその威力を発揮するから、産業を無視して戦争はできない。

<p>そういう意味で、国家をベースとしたナショナリズムはすでに時代遅れとなっている。石橋湛山がかつて日本と国交のなかった共産中国に行き、夢見た世界がそこにあるもかも知れない。しかし、それと同時に、今度は「経済ナショナリズム」あるいは「企業ナショナリズム」とも言うべき世界が出現したのが、現代という時代だ。

<p>すでに多くの日本企業の株の70%は外資であることからも、それは伺える。

<p>国境をまたぐ多国籍企業は、国に代わるナショナリズムを人々に要求しているから、この波に乗れなければ、国さえ危うくなる。「国という単位」はすでにかつてのように富の中心ではない。今は企業があからさまに国にとって代わっている。そういう時代なのだ。

<p>このままいけば、やがて麻薬産業のように、国を無視した多国籍企業が人々の生活を支配し、企業が私兵を持ち、国は消えてなくなるだろう。すでに「FTA(Free Trade Agreement)」のようなかたちで、それは進行しているといってよい。

<p>日本に名だたる巨大企業の役員会には、すでに多くの外国人がいる。そしてそこでの会話は英語で行われているところも非常に多い。

<p>国家ナショナリズムは崩壊した。いま、ナショナリズムの残り火が、今わの際の雄たけびを上げているに過ぎないように見える。そして、これから始まることは、おそらく、企業を「国」のように扱う、新しい文化だろう。そして、そこには、相変わらず「企業ナショナリズム」が、かつての「国家によるナショナリズム」の次に生まれてくるに違いない。

<p>いま、この地球の主権は国ではなく、企業になったこと。そして、企業は国家のナショナリズムの裏に隠れて、あたかも国やそのナショナリズムがあるかのようにして、企業そのものの「罪悪」を隠そうとするだろうこと。だからこそ、今、国家ナショナリズムが声高に煽られることになる、ということもあるだろう。

<p>「ナショナリズム」はこうやって時代をこえて、かたちを変えて、人間の社会に影響を及ぼしていくだろう。

<p>すでに、ナショナリズムはここで示したように単一のものではない。この「ナショナリズム」という「宗教」は、おそらく姿形を変えて、今後も生き続けるに違いない。いま、本当に必要なことは、この「ナショナリズム」という見えないお化けを、超えることだろう。

<p>そして、そのためには、ここでご紹介した記事にあるような、元従軍慰安婦の人たちに話を聞く、という、「実際にそこに行く、人の話を聞く、触れ合う」という小さな行動が大きな意味を持つのではないか、と、私は思っている。

<p>---

<p>しかし、どうも「戦争」の話を「国対国」の話にしたがる人が多いようだ。

<p>自分は国民だから、その国のメンバーとしてどうするか考えるべき、という大前提そのものを疑うことが無い限り、戦争の問題は解決しないことだろう。富の集中とナショナリズムこそ、戦争の本質である以上、富の集中をできるだけ防げ、そのうえでナショナリズムを否定し、自分が国のメンバーである、という「当たり前と思われていること」を否定しないと、戦争の問題は解決しない。

<p>戦争は国で行う。個人はその犠牲になる。その図式とか構造を拒否してこそ、戦争は否定できる。従軍慰安婦などの問題も含め「国」という存在が個人に押し付ける行為そのものを、いかにやめさせるか。本当はそのことのほうがどれだけ大事なことか。
]]>
</content>
</entry>
<entry>
<title>世界中のどこでも</title>
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://blog.mita.minato.tokyo.jp/archives/2007/08/post_475.html" />
<modified>2007-08-10T11:49:48Z</modified>
<issued>2007-08-10T11:45:00Z</issued>
<id>tag:blog.mita.minato.tokyo.jp,2007://2.557</id>
<created>2007-08-10T11:45:00Z</created>
<summary type="text/plain"> 海外に出る旅行が多い。そして、海外にいても、同じメール、同じWeb、同じ仲間で仕事ができる。 ...</summary>
<author>
<name>nori-m</name>
<url>http://www.mita.minato.tokyo.jp/blog/</url>
<email>jmb@mita.minato.tokyo.jp</email>
</author>
<dc:subject>共同通信CH-K・電網解説のおはなし</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://blog.mita.minato.tokyo.jp/">
<![CDATA[<p><a href="http://blog.mita.minato.tokyo.jp/archives/IMG_3412.html" onclick="window.open('http://blog.mita.minato.tokyo.jp/archives/IMG_3412.html','popup','width=600,height=900,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://blog.mita.minato.tokyo.jp/archives/IMG_3412-thumb.jpg" width="500" height="750" border="0" /></a></p>

<p>海外に出る旅行が多い。そして、海外にいても、同じメール、同じWeb、同じ仲間で仕事ができる。
]]>
<![CDATA[<p>インターネットというものができてから、こんな世界が一部の金持ち会社のものではなく、個人のものになった。

<p>もうこのことには驚かなくなって、当たり前のことと思えるようになってきたが、本当に驚くのは、この「変化」が、10年もたたずにおきて、そして「終わった」ことだ。

<p>変化は終わったが、変化の結果はいま、ぼくらの手の中にある。

<p>次に変るべきはこういう道具を持ったぼくらだ。
]]>
</content>
</entry>

</feed>