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2007年08月27日
阿久悠の時代とはなにか
作詞家の阿久悠氏がこの8月1日、尿管癌で亡くなった。享年71歳。すぐにテレビ各局では追悼のための特番が流され、日本中がその死を惜しんだ。
阿久悠という人がどういう人であったか?私は直接本人を知らないので、あまり細かくはわからない。しかし、「作詞」という仕事は、自分ひとりの作業でありながら、その「詩」の作り出した世界観とかイメージといったものが、作曲家と共有され、編曲者と共有され、演奏をするオーケストラと共有され、歌を歌う歌手はもちろんのこと、その歌手を支える衣装をデザインする人など、多くの人たちに共有され、それがテレビなどのマスコミで、さらに限りなく多くの人たちに共有される、というこの「流れ」を意識すれば、その仕事がとても大切な仕事であることは、十分に想像がつく。
書く詩が、描く夢が、ドラマを描き出し世界を創る。その世界を多くの人の共感のもと、共有する。それが成功するときもあれば、失敗するときも、もちろんある。
IT などの仕事では、その発案やシステムの全体像を描く仕事のことを、川の流れにたとえて「上流工程」と言い、その上流工程のする仕事の結果にしたがってプログラムを書くなどの仕事を「下流工程」と言う。「作詞」というのは、ある楽曲をつくり、世の中で広めるにあたっての「上流工程」のその最初に位置する仕事である、というように感じる。
私が中学校、高校といった時代、阿久悠氏の作詞した歌は、テレビを席巻していた。毎年年末の国民的恒例行事と言われたNHKの紅白歌合戦は全盛を極め、民放にも高い視聴率を持つ多くの歌番組があったが、そこで歌われる曲の多くが阿久悠氏の作詞によるものだった。まさにその時代の国民の「感性」をがっちりとつかんで歌にしたのが、阿久悠氏ではなかったか?と思う。
そういう意味では彼は本当は「作詞家」ではなくて「ジャーナリスト」であったのではないか?と私は思っている。ただ、彼の仕事としての表現の方法が「作詞」というかたちをとっていただけなのではないだろうか?
8月3日に放映されたNHKの「プライム10」は阿久悠氏の追悼番組となっていた。この番組の中で「津軽海峡冬景色」を歌った歌手の石川さゆりさんがインタビューに答えていた。その一部を引用する。
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歌を作るとき、先生はスタッフを全員自宅に集めて、みんなの顔を一人ずつ確認するように見て「これで顔ぶれはそろったね」って、おっしゃって、(続けて)「共犯者はこれだけだね」っておっしゃって、阿久先生らしい。。。で、「さぁ、こっから事件を起こすぞ」っておっしゃったのが、そのひとつずつが、生きたことばだったな、って私の中に残ってます。
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どんな仕事にも「ジャーナリスト的感性」が必要な仕事が最近は増えてきた。特に、Web系のサービスなどを行う会社では、まさにこの感性こそが財産だと言える。であれば、いま、阿久悠のしてきた仕事や、そのやりかた、そしてその作品とその受け入れられ方をちゃんと研究することが、いっそう必要になっているのではないか。記者にはそう思えるのだが。
しかし、あの時代のテレビとはなんだったのだろう?あの時代の「気分」をテレビが作っていた、というよりは、私たちの心の奥底に潜むかたちのない「夢」をわし掴みにして、「ほら、これでしょう?」と、私たちの目の前にごっそりと、そしてきれいに整理してそれを阿久悠さんをはじめとした作詞家、作曲家、そして歌手やスタッフが「歌曲」というかたちで提示した。ぼくらは「ああ、これだったのか!」とそれを受け入れた。それはきっと、テレビが私たち大衆の側をちゃんと向き、私たち大衆もまたテレビを信頼していた「よき時代」であったのではないか。
阿久悠はそのテレビにあって、人々の夢をつかみ取り、「詩」として提示し、仕事として成立させた。テレビが阿久悠という作詞家を育てたのではなく、本当は彼がテレビを支えたのではないだろうか?テレビと私たちの間の信頼をつなげたのではなかったのだろうか?
そして、阿久悠のような人が、これからもこの日本に生まれてくるのだろうか?
投稿者 nori-m : 2007年08月27日 14:37