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2005年11月11日

女人禁制の山に女性が登る

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変なニュースを見ちゃったよ。

女人禁制の山に女性が登ったってことがニュースになっていたんだけどね。で、どこでも「伝統・文化」か?それとも「男女平等か?」ってやってる。

今回、女人禁制の山に女性が登っちゃったそうです。

そうですか。じゃ、Google MAPSとかで衛星から女性がネットで上から「女人禁制の山を真上から見下して眺めちゃうのはいいけど、登るのはイカン、と。登るんじゃなくて、山頂にヘリコプターで行っておろしてもらう、なんてやっても面白かったかも。実際、富士登山はそれをやってるよね。高齢者のために。

いまどき、山に登ることくらいで、性差なんかが問題になるとは思えないですよね。文化、伝統の破壊って、あなただって、日常的に文化や伝統の破壊してるでしょ?ほら、服だって洋服じゃん。古くからのものを無条件、無根拠で大切にしなさい、というのだったら、今の日本のほとんどの人の生活は成り立たない。生きていけない。地球温暖化でいま地球はたいへんなんですよ。その山だって、いずれ海の底に沈むかどうか、って感じじゃないかね?

性差そのものだって、いまや人工的な手術と薬と化粧の発達で、生物学的な性差の意味がよーわからん状態になってる。遺伝子の研究が進むと、男女の産み分けなんてのも、かなり高い確率で人為的に可能になる。生まれる前も、生まれた後も、男女どちらにだって、いつでもなれる。「えーと、ぼく、男だったっけ?女だったかしら?」なんてことも起きるかも知れない。

「聖なる山」「女人禁制」なんて、いまどき、どこもかしこも「禁制は犯され放題」でしょ?実際、大峰山でも、女人禁制の範囲そのものが劇的に変わってる。それは、みんなにモラルがなくなったとか、そういうことじゃなくて、必然的に世の中の流れとして、そうなった、ってだけのことだよね。そういう意味で「禁制」を破るほうもそれを「守る」ほうも、どちらも、真剣味がいまひとつなんだな。文化も伝統も、世の中の動きにつれて変わっていくものなんだな。そして、今はその動きが「急」なんだよね。昔と違って。まぁ、それについていけるかいけないか、ってのは個人差のあることなんだろうが。

食べるものは、なに食べてるの?しょうゆだって、昔とは違うよ。米だって昔と作り方がちがう。この味噌は防腐剤を使ってません、って言ったって、元の大豆は農薬使ってない?じゃ、その生育した土壌は、誰かが食べたあとの糞尿をコヤシにしてる?じゃぁ、その人が食べたものには食品添加物とかの有害なものは一切入ってないの?農薬を全く使わないでいまどき作ることができる作物は少ないから、「低農薬」はそこそこ実現できても「無農薬」の商品は限られ、しかも高い。さらに「無農薬」でも遺伝子組み換えの大豆はどこにでもある。さらに、「遺伝子組み換えしていません」って書いてあっても、隣の畑で遺伝子組み換え大豆を作っていたらどうなる?組み替えた遺伝子とそうでない遺伝子が混ざっていない保証はどこにもない。日本人みんなが日本産の「無農薬」のものしか食べなくなったら、日本は経済破綻しちゃうよ。餓死者がいっぱい出ると思うけど、それでもいい?その前に家計がもたないけどね。

身の回りの「モノ」が変わっていけば「精神」も「哲学」も「宗教」も、みんな変わる。時代が文化も伝統も変えていく。変わらざるを得ない。それこそが、変わらぬ人間の歴史だったと思うんだよね。その変化はあるときは緩やかだし、あるときは劇的だ。ついていける人もいれば、ついていけない人もいた。

昔は「なぜ」は問われなかったことも多かったけれど(もちろん今でもないことはない)、いまやエイゴで言うところの「アカウンタビリティ(説明責任)」はだれにでもある、とされている。女人禁制の山も無根拠な主張や「伝統」という単語を使わない「なぜ」に答える必要があるだろうね。これが時代とともに変わる「人間の文化」なんだな。

今回のニュースを見て思ったけど、結局のところ「女人禁制」を守るほうの人たちも命を張って登山を阻止したわけじゃなさそうだね。本当にそれだけの価値がある「禁制」であれば、殺人事件とか傷害事件くらい起こしてもおかしくない。「八つ墓村」みたいにね。今回はそんなことは全然なく、女人禁制は実に簡単に破られたみたいだし。

だいたいからして、なにからなにまで急激な変化にさらされているこの世の中で、例外になる人間はほとんどいないことだろう。今やチベットの奥地でも衛星でテレビを毎日見られる時代なのだ。いまどき、女人禁制の山に女性が入ったところで、たいしたことでもあるまい。少なくとも、洋服着て、コンビニでなにか買って、毎日テレビ見るような普通の生活者であれば、まずそういう「現代生活」を一切断ち切ってから、「女人禁制」を言わないと、説得力がない。それを破ろうとしているほうに対しても、守ろうとしている人たちに対しても。

繰り返すけど、人間の文化や伝統ってものはちゃんとそれができた経緯・理由があって世の中に認められてきたものだ。その理由が崩れているのに、まだあるように思っているってのは「幻想」と言う。その「経緯・理由」をちゃんと継承できない理由があるから、継承できなかっただけのことだ。世の中は変わる。「経緯・理由」の意味がなくなったり変化するのは、時間の流れにつれて人間やその社会も変化していく以上、当然のことだ。

まぁ、今回はよかったですね。傷害事件とかにならなくて。その山のカミサマもきっと「こんなことで裁判沙汰にならなくてよかったぁ!」って言ってると思うよ。

あ、そっか。「女人禁制」って、その村の観光資源の1つだったんだね。ほら、よくあるじゃない。「大人のお菓子」とか、「18歳未満お断り」って書いておくと、18歳未満のやつらがいっぱい買っていってくれる、ってアレ。「女人禁制」としておけば、それに敏感に反応する女性のグループが怒るから、こんなふうにニュースになって、観光客も増える、と。しかし、うまいなぁ。ひょっとすると、この反対グループと、地元の村民はビジネスでの利害関係が一致して「デキちゃって」るのかも知れないね。誰が考えた戦略かな?電通?博報堂?それとも地元の名もない広告代理店かな?いずれにしても「世界遺産」に登録っていう大事があるらしいし、カネの成る木、と、このヤマを見る大手の広告代理店や観光コンサルタントがいてもおかしくない。

でも、もっとうまいショーバイってのはあると思うよ。ここはひとつ、どっかの観光コンサルタントでも入れて、じっくりと作戦を練るのがいいと思うよ。

ここはもともと女人禁制の山です。しかし、女性の方でも、しかるべきお金を払っていただければ、入山できます。男性は無料です。これが「伝統文化というものです」ってやるわけだな。「子供の国」って遊園地があったんだけど、そこは子供料金のほうが大人のそれよりも高かった。とかね。いろいろやり方はありそうだ。

うーん、今回は商売のジャマ(いや、加担か?)したみたいだね。ごめんね(笑)。

参考:
テレビでも紹介されているんですよね

追伸:
こういう問題を語るとき「それは伝統である」というならまだしも「差別とか言う話ではない」という人がいる。しかし、差別する側や、それを意識しないでいる側にとってそれは「当たり前」だったりすることや気がつかないことであっても、差別される側にとって「それは差別である」と感じられれば、当然のことながら、とりあえず「差別」は存在する。このことを忘れて「オレはしらないもんねー」と言っても、実際にそこに差別で傷つく人たちがいる、という事実は消えない。その消えない事実をあたかもなかったかのように振舞うことを、普通は「偽善」という。偽善を行うものは、必ず「自分がこれから書くことはそういうこととは関係ない」と言って、それをはじめる。悪質極まりない論法といえるだろう。世の中に自分が存在しない、と思えばそれは存在しないのだ、という言い方は自分と他人との関係性を無視している、という意味において子供と同じである。まともな大人のすることではない。

投稿者 nori-m : 2005年11月11日 11:22

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