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2005年03月19日
「話しことば」「書き言葉」そして...

「ブログというメディアは書き言葉をベースにしながらも、話しているように生の言葉が飛び交う部分で、書く、話すを融合させた機能を持っているような気がする」というのは、とても面白い指摘だな、と思った。
だから、blogでは書き言葉のみの場合に比べて「スピード感」とか「リアルタイム性」が求められる、というところがある。つまり、ちょっとblogをお休みする、ということに対して、書くほうも「あ、書かなきゃ」と思うし、読むほうも「なんだかあの人最近書かないけれどなにかあったのかな?」ということになる。変な言い方だけれども、「書くこと」にも意味があるんだが「書かないこと」にも、何らかの意味ができているように思う。書き言葉と話言葉の中間、というのは、その沈黙に意味があったりする場合もある、と言う「書き言葉」である「blog語」の面白いところだろうね。
書き言葉と話し言葉の最大の違いは、それを記録として時点を違えて読めるかどうか、というところも非常に大きい。話し言葉はその場で消えてしまうから、もし消したくない場合は録音を取ったりすることになるけれども、それはその場の雰囲気も一緒に記録できないこともある。会話の録音は、ビデオで録画できると、本当は良いのかも知れない。それでも足りないものは残るけれど。
今のような時代になると、書き言葉が持っていた利便性の1つである「より大量の情報をより早くより多くの人に伝える」「マスコミ活字的な」部分は、テレビなどのメディアにとって代わられているから、書き言葉の「記録性」のほうが、実は今はとても重要になってきたのかもしれない。その意味で「blogを書けばGoogleが保存してインデックスまでつけておいてくれる」というのは、実は大変に重要なことなのかも知れないね。
ところで最近、同じ組織、同じフロアの隣の人にさえ、メールで仕事のやり取りをすることがとても多くなった。ぼくだけじゃない、他の人に聞いてもどうやらそういうことは増えている。つまり、仕事である以上、間違いがあったりしたらすぐに直す必要がある、などのアクションが必要になるから、重要な仕事のメッセージであればあるほど、メールで記録を残しながらコミュニケーションを取る、ということが普通になっている。
いまやメールが途切れればその人とのコミュニケーションは無いのと一緒だ、というくらいになってしまった。それが携帯電話のメールの登場で、仕事のみならず、家族、恋人どうしでも事情が同じになってきた。まるで、これから人間は無言のコミュニケーションの世界に突入するかのようだ。
おそらく、しばらくはこの状況が進行していくだろう。話し言葉のコミュニケーションスキル以上に、書き言葉のコミュニケーションスキルが、どんどん重要視されていくことになるんじゃないだろうか?いや、たしかこの前巻き込まれたネットのトラブルでは、ぼくの方から「メール以外は受け付けない」と、やったことを覚えている。なぜかと言うと、それは「記録を残すため」だった。おそらく、電話などでのやりとりをしたとしても、その内容の確認のため、メールをさらにぼくは送って、確認を求めたかも知れない。
書き言葉は記録することばでもあるので、内容の論理性や明確な論旨が必要で、感情的にはなりにくい。また、記録では状況説明もしなければならないので、裏表のある話や腹芸の類、あるいはダブルスタンダードはボロが出やすくなる。つまり、公明正大にやる、ということであれば、記録の残る書き言葉を使うほうがすっと良いことになる。裏を返せば「感情は伝わりにくい」ということになる。
しかし、これからは見ず知らずの人と、ネット上での出会い、トラブルなどがとても多くなるだろう。そういう場面では、やはり記録の残る書き言葉を縦横に使って白黒の決着をつける、というほうが、やはりいいことなのかもしれない。「なぁなぁ」で済ます、ということが減るし、なによりもGoogleくんがそのやり取りをすべて記録してくれるわけだから、不正なことやあいまいなことでの言い逃れができなくなるから。
え?そんな社会はいやだ?って?だったら、ネットは使わないこと。それに尽きるんじゃないかな?
投稿者 nori-m : 2005年03月19日 19:24