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2005年02月24日
外野の寝言

これは外野の寝言だと思って聞いて欲しいんだけど、いまどき、テレビなんてものに価値があるのかな?もっとわかりやすく言えば、ライブドアが株主だろうが、フジサンケイグループが株主だろうが、そんなことは視聴者にとってはどうでもいいことなんだよね。
ライブドアが株主になったところで、あるいはがりがりの外資が株主になったところで、株主がすべてを決められない、というのが、日本的な会社の作り方だよね。米国流というと、経営者が変われば経営が変わって、と考えるけど、日本ではそう簡単にはいかない、という例がけっこうある。
ま、外野としてはだね、要するに面白くてまともな番組が増えてくれれば、見てやるよ、というところ。東京なんかじゃ民放こんなにあるんだよ。おまけに最近はケーブルもあるし、よりどりみどりなんだから、1社くらいなくなったり、トチ狂った番組を放送しても、そんなことはどうってこたぁない。ライブドアが株主だろうが、どこが株主だろうが、要するに経営権の問題ばかり言っているけれど、そのテレビ局がいかに面白い番組を作ってくれるか、ということが一番大きいはずだね。どこが株主になろうと結構だが、面白くないと見ないよ。それだけのこと。
亀淵昭信社長くらいだったらできるかな?記者会見で澄ましてないでさ、「いやー、カメカメエブリボディのカメです!今日はちょっとすごいどらえもん対策を発表しちゃおうかなー、とか思ってるんだよね!、じゃ、今夜もいってみよう!、あ、ごめん!。どらえもんとホリエモンって、どっちも太ってるから間違えちゃたよ!じゃねー」とか、昔のあのノリでかましてくれないかな。いや、ホリエくんはその時代は知らないだろうから、このノリがわかるとは思えないけどさ。
日本は戦後、お金ばかり気にしてきた。労働組合は仕事の質を問う、なんてことは全く考えず、給与闘争だけしてきた。労働こそ、最大、最高の人間の営みであり、エンターティンメントだ、という、きわめて原初的なこの原理について、全く無頓着だったんだな。そして、ぼくがコンピュータの仕事をしていて、一番びっくりしたのは、労働組合とか、左翼系の人たちも、右翼なんて人たちや保守と言われる人たちが、すべてそろって、この新時代のハイテクに対して、誰も免疫を持たず、みんなバンザイしてこれを受け入れちゃった、ということだった。
みんな、自分の知らない新しいものを目の前に突き出されると、どうしていいかわからず、やみくもに受け入れた。その現場をぼくはこの目で目撃した。本当のことを言おう。ぼくはそのとき、こう思った。「なんてばかなやつらだ!自分の思想を持たない、自分の意見を持たないなんて!」。
おいおい、おまえら、あんたの持ってる、その哲学も思想も借り物かい。単にどこからか流れてきた人の本を読んで、その思想を「学習」していただけかい。自分の体からたちのぼるその知的で身体的な欲求を自分のものにして、自分の考えとか自分の哲学とか、そういうものを持とう、なんて、まるで思わなかったのか?思想とか哲学って、そんなにうすっぺらなかりものだったのか?しょせん、日本の学校の作る優等生なんて、その程度のものだったのかい?もしもそういうものを持っていたら、こんなITなんてもの、インターネットなんてもの、断固拒否する、なんて人が一人くらいいてよさそうなもんだったんだがね。そういう人がいれば、インターネットと言う技術の根底にある思想を、その場で見抜いて、ちゃんと自分のものにしたと思うよ。まともな知性ならばね。でも、日本にはそういう人は皆無だったんだな。
まぁ、日本の戦後なんて、結局は明治維新の延長だったものね。自分で自分の確固たる思想と哲学を確立する、なんてだーれも考えなかった。自分の立っているその場所からわきあがってくる思想や哲学をみんな殺して、どこからか流れてくる「それ」を、みんな「お勉強」することが、思想を持つこととか、哲学をすることとか、思い込んでいたんだものね。「個の確立」の意味をちゃんとわかることができなかったんだね。不幸な日本のガキども、と言いたくなるな。
テレビというメディアの本質をあの時代、ちゃんと剽窃できたのは、マクルーハンだけだったじゃないか。日本の思想家とか哲学者は黙ったまま。その本質さえ見抜けなかった。少々間違っていようと、本質を見抜こう、という努力さえしなかった。インターネットがでてきたときもそうだった。そのマクルーハンを翻訳して日本に紹介した若き日の竹村健一は、それだけでまだまだまともだったと言っていい。いま、彼がそうかどうかは知らないけれど。
自分で自分の思想を持つ。自分で自分なりの哲学を持つ。その楽しさを知る。人生を「それ」を使って、すべてエンターティンメントにしてしまう。そういう生き方を選ぶ。ね?日本ではこれらのことごとくが、できない人ばかりだった。みんなバカだなぁ、とぼくは思うよ。楽しく生きることを至上の価値にしたとき、そこに新しい価値をベースにした地平が開けてくるものなのに。
みんなさ、あのライブドア騒ぎで、本当に大切なことを忘れてないかい?仕事って、なんだったんだろう、とか、生きていく、ってどんなことだったんだろう。自分はなにをして生きていったら、充実した人生を生きられるんだろう、とか。そういう本質的でとても大切なこと、忘れてないか?それをちゃんと考えてこそ、あのくだらないのっとり騒ぎを自分のものにできる。そういうものさ。
投稿者 nori-m : 2005年02月24日 20:54