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2005年02月15日
あらためてblogの意味とは?

この記事の直前の記事、そして数々のコメントで、私と「貞子ちゃんの連れ連れ日記」のあいだで起こったことがなんであったか、ということは、十分におわかりになったかと思います。いっとき、この「貞子ちゃん」から離れて、Blogというメディアの意味、インターネットの意味など、私がここ20年、これらの技術にかかわってきたこととからめて、お話をしておきたい、と、思います。
もともと、インターネットはblogを行うためにできたようなものでした。つまり、個人間の相互のつながりをつくっていくメディアとして誕生しました。個人の持つ「モラル」を、国と国さえ越えるもの、として扱って、それを大切にしてきたのです。言い換えれば紳士と淑女の集まりであった、と言えるでしょう。
もちろん、その後、インターネットが普及するにつれて大衆化がはじまりました。Windwos95が発売され、それが広まった1995年末に、この動きは大きなものとなった、と言えます。そして、大衆化した以上、猥雑なものや悪いものもまた増えてきました。紳士と淑女ばかりではなくなりました。また、インターネットは「サイバー空間であって、普通の社会とは違う」とうよく言いますが、このときを境に大衆化したインターネットは、実社会と密につながるものとなりました。私の感触としては、「サイバー空間」といって、ネットを実社会とは別物と見る、ということ自身が、既に古い考え方だ、と、だいぶ前から感じています。
そして、2003年くらいからblogのブームが始まりました。ちょっとだけでも自分の文章を誰かに見てほしい、という人は、こぞってblogを始めました。blogの相互リンクとしてのトラックバックは、面白い機構でしたが、要するに、ある一定以上の技術を持った人間しかできなかったホームページ作成というものを、なにも技術のない個人のものとした、というところに、blogというものの本質があるように思います。そのため、他のページへのリンクとか、リンクをしてもらう機構とか、掲示板とか、手軽に自分の意見や画像を載せられる、という、今まではホームページでやっていたことの本質を気軽に体験できるようになりました。
こういった「技術の大衆化」は、今まで個人には高嶺の花だった技術を、個人のもとに引きずりおろしました。ネットの持つ最大の強みである「双方向性」が、blogによって大衆化されました。だからこそ、個人の持つ倫理とかエチケット、常識といったものがたいへんに重要な役割を持つ。それを試されている、というのが、ネットの持つ性質の1つにあるんだと思います。
投稿者 nori-m : 2005年02月15日 21:15
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初めてコメントさせていただきます。
貞子ちゃんの連れ連れ日記 との やり取り見ました。
私見ですが、三田さんの言うようにインターネットに展開されるブログで
「何を言われても仕方がない」という話は一理あると思います。
一方、貞子さんの「心をリフレッシュするための場」としてブログを使っていることも
そう簡単に否定するべきではないのかもしれない。
非常にやらしいたとえ(でもわかりやすい)なので、あえて言いますが、
道を歩いているときに、女性の派手な下着が目に入った
(かっこいい男が歩いていた、でもいいです)。
それに対して、どれくらい大きい声でその下着(男性)のことを言ったのか、
(ブログで言えば、それほど魅力的なそれ、ということになりますか…
(何度も言いますがやらしい意味ではありません…といっても説得力無いか))
そういうイメージに捉えられるんですが…。
三田さんにしてみると、ここ何日かの三田さんのブログを見ると、
「問題意識のもち方(あらゆる面からものを見る、という意味で)」の例として、
今回の事を上げたような気がします。
やはり、私見ですが、
ある程度、自分がどんな人間で、どういう気持ちでこのブログを書いているのか、
という思いが書かれた文章を、ブログのトップページに書いてあったほうが
読む側にとっては分かりやすい、コメントし易い気がするのですが…。
(貞子さんのような考え方の人がそれを意識しながらブログを書くのは、
「それでは(そんなに人に読まれてるのか、と意識しながらブログを書いていては)
落ち着いて書けない」と思っているかもしれませんが…)
そういう方法を考えないと、
読んでいけば確かにどんな考え方でそれを書いているのかわかる、
といえば分かるのですが、誤解や行き違いを生みやすいのではないでしょうか?
(三田さんの場合はそれさえ狙ってる節も感じられなくは無いですが…)
貞子さんも読んでいるようなので、発言に問題あれば
(単純に気に入らない、もう蒸し返さないで欲しい、
といった理由でもいいと思います)、指摘ください。
三田さん、その際は済みませんが、削除して下さるようお願いします。
(なにぶん、こちらでは削除できないので…)
投稿者 安心しました : 2005年02月18日 16:32
コメントありがとうございます。
おっしゃる通りですね。
blogを「心をリフレッシュするために使う」のも私は悪いことではない、と思います。でも、リフレッシュできない場になるようなものは排除する、ということになると、他人への影響を考える必要が出てくる。自分の意見に沿わない意見もまた、貴重な意見である、ということを認めることがなければ、「リフレッシュ」の意味が単なる「言いたい放題」と同義になってしまいますから。
それでいいんですか?ということを私は言いたかったわけです。
「貞子ちゃん」が手に入れたと言っている「幸せ」というものが、ある意味少女趣味的(というと怒られそうですけれど)な、自分の気に入った狭い世界だけで満足を味わえればそれでよい、と思いこむこと、のように、私は見えたのですね。
blogの意味とかトラックバックという機能がなぜあるのか、とかを考えたとき、これはやはり自分の気に入った世界だけをひとくくりにしておく、というものだけではすまないものなんだと思います。
このところ、「貞子ちゃん」はライブドアの株価がどうこう言っていますが、私もそれはとても気になる。でも、同じ意見ではないですね。ライブドアという会社が今までなにをしてきて、これからなにをしようとしているのか、堀江氏の取り巻き連中も含めて、なにを考えているか、を、私はまじかに聞ける、ということもあるので。
テレビとかマスコミとかから来る又聞きの情報に惑わされないようにするためには、「貞子ちゃん」の今までのやりかたでは、その書き方が、「少女チック」で面白くはあっても、かなり低いレベルでの限界がどうしてもでてきてしまう。もっと広い視野を持ってくださいね、というつもりだったのですが。
投稿者 nori-m : 2005年02月18日 20:09