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2005年01月31日
音楽ってなんだ

例によって貞ちゃんのblogに、平原綾香の「ジュピター」のことが出てました。でも作曲家は「ホイスト」じゃなくて「ホルスト」なんだけど、まぁ、こまかいことは置いとくとして、ホルストの「惑星」という組曲の中の「木星(ジュピター)」なんだよね。この曲のメロディーは。
でも、平原綾香の歌詞はいいよね!
富田勲のシンセサイザー音楽で「惑星」も大学生のときに聞いたけど(1977年)、最初の「展覧会の絵」のときから、そのバックでシンセサイザーの指導的なエンジニアリングをしていたのが、私のお友達の深町純さんです。今はピアノの即興演奏などのライブがすばらしく、毎月一回恵比寿で演奏するので、私もよく行きます。(このサイトにはMP3の楽曲があるので是非お聞きください)。
音楽の教養って、いろいろあるんだけど、クラシックの素養があって、楽器の演奏を自分でしたことがある人は、やっぱりどこか違う。いまはジャズをやっています、という人でも。でも、その教養が邪魔して、新しいものができない、ということだってあるよね。楽典をしっかり勉強しちゃうと、どうしても楽譜のほうにアタマが行く。指先が勝手に動く、という楽器とオトモダチ状態から、なぜか楽譜とおトモダチ状態、という、ある意味頭でっかちになる。そこで、音楽をする人としてのバランスは取れるのだけれど、なぜか新しいものを作れなくなっていく、ってことがある。
かく言うぼくはクラシックも大好きだ。高校時代に楽典も一応勉強した。でも、職業で音楽をやるわけじゃないから、と割り切って、ある時点で楽譜をあまり重要に考えなくするようにした。楽しむだけだから、これでいいんだよね、って思って。それから、ジャズも好きになった。
音楽がこころに響くときってある。今までは何気なく聞いていた、聞きなれた音楽が、歌詞が、たとえば恋をしたとたんに、あるいは人生の蹉跌を味わって、どうしようもなくなったそのときに限って、いつまでも忘れられないものに変身する。
生きてるって、こういうように自分が変化していくことなんだ、と、わかる、その瞬間に、生きてる意味をやっと、ぼくらは体で感じる。わかる。そのとき流す涙も、心の底からこみあげてくるうれしさも、全部が生きてることの証だと知る。
歌は世に連れ世は歌につれ、と言うけれど、そのときどきの歌に、音楽に、自分の歴史が重なるそのとき、音楽って、本当に忘れられないものになる。そんな人が世の中のどこにいるかわからないけれど、そんな人がいるそのとき、そこに流れてその人に涙を流してもらえるような、そんな音楽を作りたい、って、音楽を仕事にしている人はみんな思っているのじゃないかな?
IT屋として自分はちょっと立場は違うけれども、インターネットのシステムとか、携帯電話のメールのシステムのごく一部とか、そういうものを作った自分たちは、きっとたくさんの人の感動を運ぶ仕事をしたのだろう、と思う。
情報とは「情けを報せる」と書く。そういう自分の仕事を誇りに思う。
投稿者 nori-m : 2005年01月31日 21:15