« 突然ですがバイオのお話です | メイン | 私が見ているサイト »
2005年01月22日
土地と米国

いやもう、照れてます。「貞ちゃん」にいっぱい引用されてしまいました。うれしいのですけれど、なにか照れくさいです。ほとんど交換日記ならぬ「交換トラックバック」状態ですが「貞ちゃん、って人は私の言いたいことを私に代わってズバリ言ってくれてて気持ちがいい!」と、大声で言う方もいます(大声で、は余計ですが、それを言っていた本人の声はやはり大きいのでこのままにしておきます)。声は大きくとも、同じ女性として共感できるものがあるのでしょうね。 ;-)。
ぼくはもともと東京生まれの東京育ちなので、本当に東京以外のことをよく知りませんでした。もちろん、観光とかビジネスではしょっちゅう東京から外に出ますけれど、ビジネスといえば大都市、観光といえば極端な観光地、という感じになるので、東京以外で生活している人の間に入って社会を見ることが、あまりありませんでした。だから、昨年度はそれをはじめてした、というわけです。
生まれたときから東京にいたので、小学校とかでみんなが「どこそこから転校してきました」なんてのをとてもたくさん聞きました。ぼくの子供の頃は高度成長真っ只中だったから、転校してくる子供がとても多くて、学校の規模もどんどん大きくなりました。夏は暖房、冬は冷房つきプレハブ校舎、なんてものができた時代だったのです。
みんなが高度経済成長に浮かれていて、今日よりも明日はもっと大きな家に住めるようになる、とみんな信じていて、だからこそ、生理が止まろうが悲しいことがあろうが、みんな明日を信じて「中島みゆき」の「時代」なんかを聞きながら「明日はもっと!」って言いつつ生きてた、って時代でした。
さて、ここで米国の話になるのですが、東京はいまでも日本の人口の1割を抱えているし、日本では大都市に住む人口が全体の7割で、あとの3割が「田舎」と呼ばれるところに住みます。対して、米国はこの比率が逆なので、7割が田舎に住みます。米国という国はシアーズをはじめ通信販売業者が大変に栄えました。電話などの通信手段が栄えているのも、また、手紙などのビジネス文化が発達しているのも、そしてインターネットができてそれが急速に広まったのも、そして、それを助ける手段として全米にハイウェイが張り巡らされたのも、みんなこういった国の出自と関係しているのですね。
ぼくが二十数年前、コンピュータとか通信に初めて出会って熱中したとき、こういう機械を作る必要があった国って、きっとこんなだろうな、という想像をずいぶんめぐらせていました。文学作品を読むように、ぼくはコンピュータと通信の技術を習得し、その向こうに広がる「かの国」の様子を、心に描いていたのです。そして、実際にその国に足を踏み入れた1986年、「コンピュータ、電話、通信」って、やっぱりこういうところで産まれたんだ!と、自分の心の中の米国と本物の米国の空気がひとつになったのを覚えています。
米国という国の特徴の1つは、「田舎」ということです。つまり、広大な無償に近い金額で手に入る土地があるから、いろいろな産業を興すときに、土地などにかかるコストを、他の国よりもごく小さく抑えることができた。その土地と土地をがっちりと結ぶ物流のために、フリーウェイができ、これがあの国の繁栄時の経済を支える基盤となったのですね。産油国が石油などのエネルギー資源を、自国では無償にちかいかたちで使えるのと、それは似ています。つまり、自然にそこにあるものだから、タダ。ということなんですよね。タダで得たものを元手にして事業をするのだから、儲からないわけがない。戦後の米国という国の繁栄はこれが基礎になっています。
日本の高度成長期では米国の「土地」にあたるものは「人件費」であった、ということは言うまでもありません。これは、少々経営とか財務とかを仕事でしていて、バランスシートをちょっとでも扱ったことがないと、この感覚はわからないかも知れませんけれど。
そして、そのインフレ利潤が大都市を支えます。みんな、そのインフレ利潤のおすそわけにあずかって、少しは財も成そう、少しは有名になろう、と、都会を目指すのです。もともと東京にいた私は、そういう「田舎者(失礼)」を「品の無いヤツラだな(重ねて失礼)」なんて、かつてはいやらしくも冷ややかに見ていました。そういう私も、実のところ父の時代、母の時代からしか東京にいなかったわけですが。
いま、アメリカの経済基盤も、日本の経済基盤も、ガタガタです。それぞれが失敗したからではなく、うまくいってしまったから、それ以上成長ができなくなったのです。シリコンバレーでの失業率はおよそ7.7パーセント前後をウロウロし、中国は上海でも既にITバブルがはじけかかっており、IT技術者が余りはじめています(つまり、中国株もそろそろ頂点です)。
すべての成長を前提とした経済のありかたや目的から、そろそろ抜け出して、新しい、男が作り得なかった「価値」を、そろそろまともに作っていかなければ、誰も彼も不幸なままのように思います。きっと、イイ女とかイイ男の価値基準も変わるくらいの変化が、人間の歴史に必要なんだと思います。あ、いや、別にぼくがモテない男だからこんなこと言ってるんじゃないですけれど、ね。えへへ。
と、以上は「貞ちゃん」の文体を真似させていただきました。
投稿者 nori-m : 2005年01月22日 22:35